チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。@chimp_liuwusi

このブログについて

このブログは基本的に、私の言語訓練に用いられます。
言語訓練は私、チンパンジーが考えを自分の中でまとめるためのメモ書きのようなものであり、本来世間様に発表するクオリティの文章ではありませんが、ごみ箱に捨ててしまうのも少しもったいないのでここで発表しています。
そのため、言語訓練のタグがついた記事については、落書きに等しい信用度の物であるということをことわっておきます。くれぐれも、鵜呑みにしないようにして下さい。
なおその他のタグには「アイデアスケッチ」、「随想」、「読書感想文」があります。
「アイデアスケッチ」では私のアイデアを発表しています。
「随想」では、言語訓練に比べてある程度煮詰まった考えを発表していますが、こちらも落書きには変わりありません。鵜呑みにしないでください。
「読書感想文」も同様に拙いです。感想文の宿題を書く時に私の文を参考にすれば痛い目を見るでしょう。
(この記事には4つ全てのタグがついているので、タグごとの記事一覧を見たい時についているタグを使って下さい)

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ラフな分業 ~「創る」は楽しいものでなくてはならない~

(フリーカルチャーの「フリー」って何?(まとめ) ~パワポで要点まとめ~の補足です)

 

「創る」は楽しい。これほど楽しいことはそんなにない。最高のエンターテインメントは、誰かが創った物を受け取るのではなく、自分で何かを創り出す事であると私は思う。

しかし、全ての創造が楽しいというわけではない。楽しくない創造もたくさんある。楽しくて仕方なかったことが楽しくなくなってしまう。それを私はたくさん経験してきた。

これは創造に限らないのだが、楽しいことが楽しくなくなる時、そこにお金、責任、義務などが絡む。それらが自由を奪う時、楽しかったことは楽しくなくなってしまう。やっと見つけた「楽しい」を得る手段が一つそこで消えてしまう。これはすごく悲しい事だ。

これによって数々の楽しいことをダメにして捨てた私は、お金、責任、義務といった、心を縛り付け自由を奪うものから、創造だけは断固として守り通さねばならない。これは、私が「創造コストの削減」を追い求める理由である。

プロになるということは、自由と「楽しい」を捨てるということである。プロ野球選手にとって野球は仕事である。

 

創造を楽しいと思っていたいなら、自由でなければならない。

自由であるということは、つまり完全に主体的であるということだ。集団の一部に属し誰かに指示されるのではなく、自分が楽しいと思うことを自分が楽しいと思っている間だけやるということだ。自由であるということは、孤独であるとも言える。ひたすら楽しいを追い求めると、個人主義にたどり着く。

しかし「創造する」という場面でこの個人主義は、結果として完成するもののクオリティが下がったり、完成させるのに時間がかかったり、そもそも完成しなかったりという事を引き起こす。

(現に私は、ほとんどの創造を完成させないまま放り出す。時間や労力がかかりすぎて途中で飽きるからだ。飽きたらすぐに止めないと楽しいは苦しいに変わってしまうため絶対に続行しない。創る過程が楽しいというのは完成しなくても同じなのでそれで構わないのだが、考えた物が形にならないというのはなんとなく残尿感がある。)

クオリティが高いものを創るには、もしくは完成させるためには、いくら創るをサポートするツールがあったとしても一人では限界がある。創るのを容易にするツールだけではなく、分業が不可欠である。忌まわしい分業が、だ。

私は分業が嫌いだ。なぜなら、「分業あるところに責任と義務あり」だからだ。誰かと協力する時、そこには自由など無い。そこにいる全員が責任と義務に縛られる。仕事ならいい。金を稼ぐために自由と楽しいを捨てることなど何とも思わない。しかし、私がしているのは趣味の話だ。真に「楽しい」を追い求める活動での話だ。だが、「楽しい」のためには自由が必要だ。

 

では、真に「楽しい」を追い求める活動ではクオリティが高いものを完成させるのは不可能なのか?クオリティが高いものを創るには、「苦しい」を受け入れなければならないのだろうか?本当にそうなのか?

 

いや、違う。今は違う。

「真に自由な分業」。これは、実現できる。「義務と責任に縛られない分業」だ。矛盾しているが、実際に実現している。

私はこれを「ラフな分業」と呼んでいる。緩やかな分業と呼んでもいいのだが、この言葉はビジネスで結構使われているので分けるために「ラフな」にした。

(この概念は何かの文章で読んで知ったのだが、その文章がどうしても思い出せない。)

 

さて、ラフな分業の具体例を挙げよう。

ボーカロイド作品(ボカロ曲)と、その周辺に派生するPVや「歌ってみた」、「踊ってみた」などの、二次創作星系である。(星系と表現するのはSongriumの影響だ。)

ボカロ曲を創るクリエイター、ボカロPが創るのは、曲だけである。もちろん曲単体でも十分に楽しめるのだが、それだけではプロに迫るクオリティとは言えない。ボカロPが創った曲に影響されて、様々な二次創作が「自然発生」する。PV、「歌ってみた」、「踊ってみた」、マッシュアップ、リミックス…これら二次創作によって、ボカロ曲はハイクオリティに進化していく。

そこでは、たくさんのクリエイターたちによる分業が行われている。ボカロPは曲を作り、楽器を使える人がそこに自分の楽器を合わせる。「歌い手」がそれを歌い、「踊り手」はそれを聞き踊り、3DCGクリエイターは踊りのモーションを利用してPVを創る。こうした「分業」によって、プロに迫るほど、時としてプロを超えるほどハイクオリティな創作が完成されていく。

しかし、この分業の中には「責任」も「義務」もない。全て、各クリエイターの自由意志によって行われている。彼ら全員が、「楽しい」と思うことを真に自分の意志でやっているだけなのに、自然と分業できてしまっているのだ。

これが、「ラフな分業」だ。

この分業は、成果物を広く公表することによって初めて可能になる。ボカロ曲の場合はニコニコ動画がその舞台だ。

(そして、成果物を公表するという事はつまり、CDやDVDのように「データそのものを売る」というビジネスがそこで成立し得ないという意味でもある。)

 

「楽しい」を追い求める個人主義で孤独なクリエイターが、真に自由意志によって分業し、ハイクオリティな創作を完成させることができるのだ。

「苦しい」を受け入れなくても、ヤバいものは創れるのだ。

 

創造コストの削減」を行う際、分業(継承)はこのスタイルで行われなくてはならないと私は考える。

 

面白いコンテンツの元にクリエイターが集まって二次創作によってコンテンツが進化していく...というのは前々からよく指摘されていた事だが、この記事ではそれらが「分業」と言えることと、その分業が通常の分業と違い義務と責任に縛られない、自由で真に「楽しい」と思っていられる特殊な分業である事に注目してみた。

『コンテンツは民主化を目指す 表現のためのメディア技術』の読書メモ

(メモ)

第1章

創作のモチベーションはお金ではない⇒本来人間が持つ創造欲求

Global Site Project(Perfume)

:動画のオープンソース

 

第2章

アレの名前:ピアノロール

UTAU:オープンソースじゃない(そう言えばMMDも)⇒無料で配布するのにオープンソースにしない理由は何か?

不完全な「調教」が「歌ってみた」を誘発⇒「創造の余地」

Songrium:ヤバい⇒ソースコード(影響)の継承を整理するマップ⇒オープンソースとの組み合わせで進化の余地&創作に対するお金以外の報酬

 

第3章

inFORM(MIT)×プロジェクションマッピング:ヤバい⇒より直感的な3Dモデリング

MOD:海外における二次創作シーン⇒CKの配布により誘発

Unity:ヤバい⇒アセットストアでゆるやかな分業

 

第5章

GUI:ヤバいデザイン

ダグラス・エンゲルバート:ヤバい

アイバン・サザランド:ヤバい

アラン・ケイ:ヤバい

 

あとがき

OngaCREST

ジャン=ミシェル・バスキアとhiphopカルチャー

zozotown前沢友作氏云々で最近話題になったバスキアに関する記事。

 

ストリートからのし上がったことで有名なバスキア。彼の作品は、hiphop四要素の一つ、グラフィティアートをモチーフにしていると言われている。そんな彼の作品と、hiphopの関係性について思った事を述べようと思う。

 

彼の活動期間は80~87の7年間であるらしいが、グラフィティアートが生まれたのが1970年。TAKI183が有名だ。彼に影響を与えたであろう~80年のグラフィティは、現在よく見られるような巨大でクオリティの高いグラフィティ(マスターピースと呼ばれる)ではなく、TAKI183のようなスプレーやマーカーで文字を短時間で書くグラフィティ、「タギング」がまだまだ主流だったと思われる。

ここで、彼の作品とタギングを見てみる。まず、バスキアの作品。

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notary 1983

 

こっちがタギング

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タギングのマーカーやスプレー特有のフォントは真似されていないものの、ストリートのカオスさ、モワモワ感はバスキアの作品からも感じられて、影響を受けているなと思う。

バスキアは絵画に文字を書いたり、その文字を一部塗りつぶすという表現手法が得意だが、これも壁に収まりきらないタグがひしめき放つ熱気に似たものを感じる。

ウィキペディアでは「グラフィティとの関係はあまりない。」とあるが、私には大アリに見える。

ジャン=ミシェル・バスキア - Wikipedia

 

だが、バスキアがhiphopから受けた影響はこれだけなのだろうか?

いや、違う。もっと根本的なところでバスキアはhiphopの影響を色濃く受けていたと私は考える。それは、バスキアの「絵の描き方」である。

バスキアはどのように絵を描いていたのか?

彼には特殊な体質があった。今までの人生で見てきたものを正確に思い出し、自分の形でアウトプットすることができた。彼はテレビ、コミック、音楽、様々なものをたくさんインプットし、それを後でアウトプットするという方法で絵を描いていた。

では、彼のインプットとアウトプットを見てみよう。

 

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ゴッホの自画像とバスキアの作品

 

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モナリザとバスキアの作品

 

このように、自分が過去に見た作品を「サンプリング」し、自分の形でアウトプットしている。

これは、hiphop四要素の一つ、「DJ」の手法である。

クールハークがブレイクビーツを発見したのが70年半ばであるのを考えると、時間的にも辻褄が合う。彼は音ではなく、絵をアウトプットしたDJと言ってもいいかもしれない。

 

今のhiphopにどっぷり浸かっていると、バスキアの作品はhiphopと関わりの無い、ムズカシイ現代アートに見えてしまうが、当時のhiphopシーン(グラフィティシーン)をかんがみると、また、その描き方に注目してみると、彼の作品はhiphopカルチャーと深く関わっているように見える。

hiphopカルチャーに興味を持っている方、詳しい方は、バスキアの作品を見てみると何か感じるものがあるかもしれない。

 

なお、以上の内容とほぼ同じことが下記リンクにて詳しく、分かりやすく説明されている。

上村 夏実 | 優秀作品展 | 武蔵野美術大学 美術館

登録して数分でtwitterから追放された

便利そうなのでツイッターをやろうとしたら、電話番号を追加というページから動かなくなった。

私が何か不正を行ったらしい。何か個人情報が抜かれてないか設定をいろいろ見ていただけなのだが。

gmail以外の個人情報を与えるのが気持ち悪いので(しかも普段使いのgmailではなくダミーを作って登録する念の入れようだ)、これは実質追放処分である。

もう面倒なのでアカウントを削除したいが、それもできない。困った。

電話番号強制徴収とかツイッターキモイ。マジキモイ。マジ怖い。怖いからもうやらない。怖いから二度と一生やらない。

フリーカルチャーの「フリー」って何?(まとめ) ~パワポで要点まとめ~

パワーポイントで要点をまとめてみました。

 

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(以上のスライドは自由に転載していただいてかまいません。)

 

フリーカルチャーの「フリー」って何?① ~表現の民主化へ~

フリーカルチャーの「フリー」って何?② ~創造コストの削減~

フリーカルチャーの「フリー」って何?③ ~継承という分業~

 

(このスライドが現時点での私の集大成です。これ以上はもうアウトプットできません。この話題についてはもう空っぽです。

偶然「表現の民主化」という言葉に出合い、読むべき本をたくさん発見し、この思想の世界が一気に広がりそうなので、しばらく楽しいインプットの日々が続きそうです。インプットしながらアウトプットすると思います。せずにはいられない性格なものなので。)

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)