チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。@chimp_liuwusi

このブログについて

このブログは基本的に、私の言語訓練に用いられます。
言語訓練は私、チンパンジーが考えを自分の中でまとめるためのメモ書きのようなものであり、本来世間様に発表するクオリティの文章ではありませんが、ごみ箱に捨ててしまうのも少しもったいないのでここで発表しています。
そのため、言語訓練のタグがついた記事については、落書きに等しい信用度の物であるということをことわっておきます。くれぐれも、鵜呑みにしないようにして下さい。
なおその他のタグには「アイデアスケッチ」、「随想」、「読書感想文」があります。
「アイデアスケッチ」では私のアイデアを発表しています。
「随想」では、言語訓練に比べてある程度煮詰まった考えを発表していますが、こちらも落書きには変わりありません。鵜呑みにしないでください。
「読書感想文」も同様に拙いです。感想文の宿題を書く時に私の文を参考にすれば痛い目を見るでしょう。
(この記事には4つ全てのタグがついているので、タグごとの記事一覧を見たい時についているタグを使って下さい)

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情報はフリーになりたがる一方で、高価になりたがる①

(この記事の内容については、クリス・アンダーソン氏著「フリー」第6章を読めばより深く理解できると思います)

 

「情報はフリーになりたがる(Information wants to be free)」

この言葉はスチュアート・ブランド氏の言葉であり、オープンソースの精神を端的に表している。

言われてみれば確かに当然のように感じる。情報=データは、ほとんどゼロコストで複製できるし、それを記憶するコストや、それを通信するコストすら今現在どんどん下がっている。無限にコピーできるものがコモディティ化(ありきたりになって価値が下がる)するのは当然である。

しかし、この言葉は情報として受け継がる中で編集されている。ブランド氏が言った言葉は実は以下のようなものだった。

「一方で、情報は高価になりたがる。なぜなら貴重だからだ。正しいところに正しい情報があれば、私たちの人生さえ変わりうるのだ。他方で、情報はフリーになりたがる。なぜなら情報を引き出すコストは下がりつづけているからだ。今はこのふたつの流れがせめぎ合っているのだ。」

言葉の前半の部分が切り取られている。「情報は高価になりたがる」という部分だ。

このせめぎ合いは今でも続いている。人々は中国やアメリカのサイトで海賊版の漫画を読む一方で、応援する漫画家の漫画は、海賊版を読まずに単行本を買って読んだりもする。

 

つまり重要なのは、フリーになりたがる情報もあれば、高価になりたがる情報もあるということだ。

 

ここで例を一つ挙げよう。(あまりいい例ではないかもしれないが、新しい話題なのでこれを使うことにした)

 

grapee.jp

 

ある絵描きさんが図々しい人に絵をタダで描くように頼まれ、きっぱりと断る…という内容である。

この事例は、「情報はフリーになりたがる」という言葉だけで考えると、不可解に見える。

絵も情報であると言えるし、その絵をスキャンして画像データにすれば無限にコピーできる。それをネットで拡散させるのは容易だし、そうなればそのデータに金銭的価値はなくなる。この絵描きさんが描く「絵」というデータは、フリーになるための条件を満たしていると言えるだろう。

(一応言っておくが、絵描きさんにタダで絵を描くように言った人は、「情報がフリーになりたがる」からそう言ったのではないと思う。おそらく単に図々しいだけだ。そのためこの例はあまり適当ではないのかもしれない。)

しかし、この絵はフリーにはならなかった。なぜなのか?絵描きさんがいじわるしたのか?それとも絵描きさんが既得権益を守ろうとしたのか?いや、違う。

 

絵がフリーにならなかったのは、「情報はフリーになりたがる」一方で、「情報は高価になりたがる」からだ。

ではなぜ、絵というデータは高価になりたがったのだろうか?

絵描きさんの腕がよかったから?それもある。が、本質的な理由ではない。

高価になった本質的理由は、そのデータが希少だったからである。

 

「無限にコピーできる」データが「希少」というのは一見矛盾しているように見えるが、この例を見れば、絵描きさんが描いた絵というデータは確かに希少だ。

さあ、「希少なデータ」とは一体どんなものなのか、ここまで読んだあなたは察しがついただろう。

「希少なデータ」とは、まだこの世に存在していないデータである。ものすご~く大雑把に言うと、ググっても出てこないデータである。

クリス・アンダーソン氏は希少なデータを「カスタマイズされた情報(その人だけに与えられる特別なもの)」と表現した。反対に希少ではないデータを「潤沢な情報」、「コモディティ化した情報(みんなが同じものを得られる)」とした。

これは、オーダーメイドで作った服は高いが、既製品は安いのと同じである。

 

さて、話を整理しよう。

フリーになりたがる情報もあれば、高価になりたがる情報もある…のだが、詳しく言うと、

「潤沢な情報はフリーになりたがり、希少な情報は高価になりたがる」のである。

そして「希少な情報」とは、「まだこの世に存在していない情報」である。

 

「人々は中国やアメリカのサイトで海賊版の漫画を読む一方で、応援する漫画家の漫画は、海賊版を読まずに単行本を買って読んだりもする。」という現象はなぜ起こるのかもこれで説明できる。

漫画を買う人々は、既にこの世に存在する「その漫画」を買っているのではなく、まだこの世に存在していない「その漫画の続き」を買っているのである。その漫画家が続きを執筆するのを、単行本を通じて応援、支援しているのである。(もちろんそれが全てではないが、それなりに大きいと思う。)

 

データを扱うビジネス、特に最近海賊版に苦しめられている音楽、漫画、アニメ業界は、フリーになりたがる一方で高価になりたがるというデータの二面性を上手く利用しなければ生き残れないだろう。

つまり、「フリーになりたがる潤沢な情報」で商売をするのはもはや不可能であるため、「高価になりたがる希少な情報で」商売をしなくてはならないのだ。

 

②では、情報を扱うビジネスはどう進化すればいいのかを考えていく。

 

(②に続く)

「INTP-T」がm-gramエムグラム性格分析をした結果

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こうなった。

 

liuwusiさんは、一切の迷いなく情に流されずに極めて合理的で冷静な判断ができる人である、新しい物事やチャレンジを好み失敗を恐れず行動できる人である、とても控えめで謙虚な人であるといった印象を与える性格です。比較的マイルドで刺激的ではない性格なので、多くの人から受け入れられ易い性格といえます。

もし、性格面が短所として現れると、物事の情緒に疎く非常に冷たい人である、リスクを考えずに無謀な考えをしてしまうことがある、話しかけることを嫌がる印象を与えることがあるという印象を与えることもあります。

対人コミュニケーションの観点では、抽象的な事柄や概念的な本質を感覚的に捉える能力に優れ、コミュニケーション等で場の機微や空気を読んだり、抽象的な事柄を知覚・認識することを得意とします。閃き、勘の良さと呼ばれる能力を発揮する可能性があります。一方で、他者の心理や感情を感知し汲み取る力に欠ける面があり、他者の感情的または情緒的な心理の変化や動きに鈍感なところがあります。知性だけでなく、感性・感情も尊重できるようになれば、ますます広く豊かな人間関係を構築できるようになるでしょう。

 

とのこと。

ちなみに16Personalities性格診断の結果はこちら。

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「INTP-T(論理学者)」は当たっているのか? - チンパンジー言語訓練ブログ

 

信じ切ってる訳じゃないんですが、私こういうの結構好きなんですよね。

ラフな分業(パワポでまとめ)

パワーポイントで要点をまとめてみましたf:id:liuwusi:20170629235608j:plain

 

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(以上のスライドは自由に転載していただいてかまいません。)

 

ラフな分業 ~「創る」は楽しいものでなくてはならない~

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ラフな分業 ~「創る」は楽しいものでなくてはならない~

(フリーカルチャーの「フリー」って何?(まとめ) ~パワポで要点まとめ~の補足です)

 

「創る」は楽しい。これほど楽しいことはそんなにない。最高のエンターテインメントは、誰かが創った物を受け取るのではなく、自分で何かを創り出す事であると私は思う。

しかし、全ての創造が楽しいというわけではない。楽しくない創造もたくさんある。楽しくて仕方なかったことが楽しくなくなってしまう。それを私はたくさん経験してきた。

これは創造に限らないのだが、楽しいことが楽しくなくなる時、そこにお金、責任、義務などが絡む。それらが自由を奪う時、楽しかったことは楽しくなくなってしまう。やっと見つけた「楽しい」を得る手段が一つそこで消えてしまう。これはすごく悲しい事だ。

これによって数々の楽しいことをダメにして捨てた私は、お金、責任、義務といった、心を縛り付け自由を奪うものから、創造だけは断固として守り通さねばならない。これは、私が「創造コストの削減」を追い求める理由である。

プロになるということは、自由と「楽しい」を捨てるということである。プロ野球選手にとって野球は仕事である。

 

創造を楽しいと思っていたいなら、自由でなければならない。

自由であるということは、つまり完全に主体的であるということだ。集団の一部に属し誰かに指示されるのではなく、自分が楽しいと思うことを自分が楽しいと思っている間だけやるということだ。自由であるということは、孤独であるとも言える。ひたすら楽しいを追い求めると、個人主義にたどり着く。

しかし「創造する」という場面でこの個人主義は、結果として完成するもののクオリティが下がったり、完成させるのに時間がかかったり、そもそも完成しなかったりという事を引き起こす。

(現に私は、ほとんどの創造を完成させないまま放り出す。時間や労力がかかりすぎて途中で飽きるからだ。飽きたらすぐに止めないと楽しいは苦しいに変わってしまうため絶対に続行しない。創る過程が楽しいというのは完成しなくても同じなのでそれで構わないのだが、考えた物が形にならないというのはなんとなく残尿感がある。)

クオリティが高いものを創るには、もしくは完成させるためには、いくら創るをサポートするツールがあったとしても一人では限界がある。創るのを容易にするツールだけではなく、分業が不可欠である。忌まわしい分業が、だ。

私は分業が嫌いだ。なぜなら、「分業あるところに責任と義務あり」だからだ。誰かと協力する時、そこには自由など無い。そこにいる全員が責任と義務に縛られる。仕事ならいい。金を稼ぐために自由と楽しいを捨てることなど何とも思わない。しかし、私がしているのは趣味の話だ。真に「楽しい」を追い求める活動での話だ。だが、「楽しい」のためには自由が必要だ。

 

では、真に「楽しい」を追い求める活動ではクオリティが高いものを完成させるのは不可能なのか?クオリティが高いものを創るには、「苦しい」を受け入れなければならないのだろうか?本当にそうなのか?

 

いや、違う。今は違う。

「真に自由な分業」。これは、実現できる。「義務と責任に縛られない分業」だ。矛盾しているが、実際に実現している。

私はこれを「ラフな分業」と呼んでいる。緩やかな分業と呼んでもいいのだが、この言葉はビジネスで結構使われているので分けるために「ラフな」にした。

(この概念は何かの文章で読んで知ったのだが、その文章がどうしても思い出せない。)

 

さて、ラフな分業の具体例を挙げよう。

ボーカロイド作品(ボカロ曲)と、その周辺に派生するPVや「歌ってみた」、「踊ってみた」などの、二次創作星系である。(星系と表現するのはSongriumの影響だ。)

ボカロ曲を創るクリエイター、ボカロPが創るのは、曲だけである。もちろん曲単体でも十分に楽しめるのだが、それだけではプロに迫るクオリティとは言えない。ボカロPが創った曲に影響されて、様々な二次創作が「自然発生」する。PV、「歌ってみた」、「踊ってみた」、マッシュアップ、リミックス…これら二次創作によって、ボカロ曲はハイクオリティに進化していく。

そこでは、たくさんのクリエイターたちによる分業が行われている。ボカロPは曲を作り、楽器を使える人がそこに自分の楽器を合わせる。「歌い手」がそれを歌い、「踊り手」はそれを聞き踊り、3DCGクリエイターは踊りのモーションを利用してPVを創る。こうした「分業」によって、プロに迫るほど、時としてプロを超えるほどハイクオリティな創作が完成されていく。

しかし、この分業の中には「責任」も「義務」もない。全て、各クリエイターの自由意志によって行われている。彼ら全員が、「楽しい」と思うことを真に自分の意志でやっているだけなのに、自然と分業できてしまっているのだ。

これが、「ラフな分業」だ。

この分業は、成果物を広く公表することによって初めて可能になる。ボカロ曲の場合はニコニコ動画がその舞台だ。

(そして、成果物を公表するという事はつまり、CDやDVDのように「データそのものを売る」というビジネスがそこで成立し得ないという意味でもある。)

 

「楽しい」を追い求める個人主義で孤独なクリエイターが、真に自由意志によって分業し、ハイクオリティな創作を完成させることができるのだ。

「苦しい」を受け入れなくても、ヤバいものは創れるのだ。

 

創造コストの削減」を行う際、分業(継承)はこのスタイルで行われなくてはならないと私は考える。

 

面白いコンテンツの元にクリエイターが集まって二次創作によってコンテンツが進化していく...というのは前々からよく指摘されていた事だが、この記事ではそれらが「分業」と言えることと、その分業が通常の分業と違い義務と責任に縛られない、自由で真に「楽しい」と思っていられる特殊な分業である事に注目してみた。

『コンテンツは民主化を目指す 表現のためのメディア技術』の読書メモ

(メモ)

第1章

創作のモチベーションはお金ではない⇒本来人間が持つ創造欲求

Global Site Project(Perfume)

:動画のオープンソース

 

第2章

アレの名前:ピアノロール

UTAU:オープンソースじゃない(そう言えばMMDも)⇒無料で配布するのにオープンソースにしない理由は何か?

不完全な「調教」が「歌ってみた」を誘発⇒「創造の余地」

Songrium:ヤバい⇒ソースコード(影響)の継承を整理するマップ⇒オープンソースとの組み合わせで進化の余地&創作に対するお金以外の報酬

 

第3章

inFORM(MIT)×プロジェクションマッピング:ヤバい⇒より直感的な3Dモデリング

MOD:海外における二次創作シーン⇒CKの配布により誘発

Unity:ヤバい⇒アセットストアでゆるやかな分業

 

第5章

GUI:ヤバいデザイン

ダグラス・エンゲルバート:ヤバい

アイバン・サザランド:ヤバい

アラン・ケイ:ヤバい

 

あとがき

OngaCREST