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チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。

リトルウィッチアカデミアは映画で完結する説を唱える!!

物語も佳境に入り始めたリトルウィッチアカデミア。今夜の放送(20話)も楽しみで楽しみで仕方がない。

仕方がないのだが...今日の話が終わってしまうと、全部で25話なのであと5話しかない!いやだ!!そんなこと私は認めない!!絶対に認めない!!お願い終わらないで!!

そうだ!終わらないんだ!リトルウィッチアカデミアは映画で完結するに違いない!!

リトルウィッチアカデミアは映画で完結する説」だ!!

その根拠を述べよう。

 

根拠その一。

20話が終わったとして、残りはあと5話しかない。たったの5話で、残っている話全部を片付けられるわけがない。

20話で5つ目の言の葉を見つけられたとしても、残り2つも言の葉が残っているのだ。6つ目は一話で片付けるのも可能は可能として、7つ目は、あのシャリオでも見つけられなかった超超難しい言の葉だ。たった一話で片付けるのはまず不可能。少なくとも二話、下手をすれば三話を要するかもしれない。となれば残り話数でオチをつけるのは難しいのではないか。

クロワ先生の陰謀もまだイマイチつかみどころの無い感じだし、ユグドラシルとかグラントリスケルとかかなり話のスケールも大きくなっている。多分絶対あと5話じゃ終わらない。

そしてこの皮算用は、20話で5つ目の言の葉を見つけられると仮定して行われている。見つけられるとまだ決まった訳ではない。見つからないとなるといよいよ終わらない。

 

根拠その二。

そもそも、ヤスミンカ回、ハンナ回、バーバラ回をまだやっていないではないか!!

アマンダ回、コンスタンツェ回があってヤスミンカ回が無いというのは絶対に許されない。まずそんなことが起こるはずもない。0%だ。

そして、ロッテ、スーシィ、アマンダ、コンスタンツェ、ヤスミンカ回をやって、そして青グループのダイアナ回をやるのであれば、当然ハンナ回、バーバラ回もしなくてはならない。最悪でも、ハンナとバーバラまとめてでもいいからやってくれないと絶対に嫌だ。

そう考えると、明らかに話数が足りていないのだ!

 

根拠その三。

このアニメは異常にクオリティが高い。おそらくかなりコストをかけて作っているのだろう。であれば、普通のアニメのようにDVDを売ったりグッズを売ったり程度で採算を取れる訳がない。放送権をNHKに売るなり、映画に繋げるなりして資金を回収しようとするに違いない。

 

根拠その四。

仮にリトルウィッチアカデミアNHKで再放送すると考えると、スケジュール的に辻褄が合う!

リトルウィッチアカデミアはクオリティが異常に高く、子どもが見ても絶対めちゃくちゃ面白いし、子どもの視聴に堪えうる健全性も持ち合わせる。その上、この「リトルウィッチアカデミア」は、もともとアニメミライという、国主導のアニメーター育成事業から生まれたものだ。つまり、この作品は国にコネがあるのだ!

そのため、リトルウィッチアカデミアEテレの土曜夕方枠で再放送されるのはほぼ既定路線であると私は見ている。

過去、民法で放送された深夜アニメがNHKで放送された例を私は一つだけ知っている。「日常」だ。

日常の放送スケジュールをウィキペディアで確認したところ、民法版の放送が終わったのが2011年9月末、NHKでの放送が始まったのが2012年1月だ。つまり3か月、一期分開けていることが分かる。

さて、ここでリトルウィッチアカデミアの放送スケジュールを妄想してみよう。

6月末、民法リトルウィッチアカデミアの放送終了。三か月、つまり夏アニメの一期を空けて、秋と冬の半年、Eテレで再放送。

つまり空白期間が9か月発生するのだ!それだけあれば、60分ないしは90分の映画を作ることは可能ではないか?!

Eテレの再放送で、大きいお友達を待ちくたびれさせることなく子どもたちの関心を集めて、そこから映画を公開!完璧な戦略だ!そうすれば大ヒット間違いなしである!!

もしかしたら、またクラウドファンディング...なんてこともあるかもしれない。もしそうなったら私は絶対たくさん出資する。

 

どうだろう。やはりリトルウィッチアカデミアは映画で完結させてくるのではないだろうか。私はそう信じている。まだ終わってほしくないのだ。

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

「無料」を批判する人たち ~天王寺区デザイナー騒動、プペル騒動~

先日取り上げたプペル騒動と少し似ている事例を思い出した。

nlab.itmedia.co.jp

 

天王寺区がデザイナーを無報酬で募集したアレである。2013年の話だ。

あの時も、ネットでがやがやと批判されていたらしい。テレビでニュースにもなっていたので相当な騒ぎだったのだろう。

ところで、今回えんとつ町のプペルを無料で公開する事を批判した人と、この天王寺区の例を批判した人は同じような人に見えるのは私だけだろうか?

同じ無料と言っても、フリーミアムとボランティア募集という全く別の事柄なのだが、批判しているのがどうにも同じような人に見えてならない。

 

天王寺区の例について、GMOペパボ(minneなどのサービスを提供)の創業者である、シリアルアントレプレナー家入一真氏がツイッターでコメントしている。

一体どんな偶然かこれらのコメントは、ツイートから三年後、プペルを批判する人たちにも向けられているように感じたので引用したい。

togech.jp

togetter.com

(上からツイートを引用)

 

twitter.com

 

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(戦うべきは西野氏なのか?)

 

twitter.com

 

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プペルのフリーミアムで西野氏を批判した人たちは、これら家入氏のツイートを読んで、2017年現在の「現実」を直視する...というのをやってみてはいかがだろうか?

西野氏を批判して時間を浪費するよりも自分のためになると思うのだが。

 

(多分家入氏はプペルについてもツイートしているが、ツイッターをしていない私にそれを探し当てるのは困難だ。そのため引用していない。)

(この記事を書くにあたって、批判派の意見を調べようかと思ったが、面倒なのでやめた。なんというか、それを知って役に立つ感じが一切しなかった。そのため記事としては公平性を欠き、不十分であるが、疲れているので勘弁していただきたい。)

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

オイコノミアを見て② ~クラウドファンディング×分業~

(①はフリーミアム編、②はクラウドファンディング編である)

(この記事はオイコノミアを見て① ~キングコング西野氏は正しいが、うるさい~の続きです)

 

次はクラウドファンディング編だ。といっても、西野氏の行ったクラウドファンディングはごく普通のもので、炎上しているわけでもないので簡単な説明で終わる。

 

クラウドファンディング - Wikipedia

クラウドファンディングとは、インターネットの登場で可能になった、新しい資金調達の方法である。動画なりで自分の企画を宣伝し、興味のある人が出資、目標額に達すると実際に投資が行われる。わざわざ細かく説明するほどのものでもない。

そう言えば今朝新聞で、キックスターターが日本に進出するというのを見た。

www.nikkei.com

 

クラウドファンディングのメリットはいくつかある。

まず資金調達手段としてのメリットが二つある。銀行からの借り入れのように利子を支払う必要が無いという点と、ベンチャーキャピタルからの投資のように会社の所有権の一部を譲り渡す必要が無いという点だ。

そして、市場調査を行ってくれるという点。

目標額に達しなければ、それは市場に出しても失敗するだろうと分かる。目標額に達したなら、あなたのもとには既に、沢山の顧客が集まっている。そういう意味で、本来大きなコストがかかる市場調査をもやってくれている。売れるか売れないか怯えながら生産しなくてもよいのだ。

また、クラウドファンディング自体が事業の宣伝、プロモーションにもなっている。

キングコング西野氏が言っていた「共犯者作り」はこれにあたるだろう。クラウドファンディングの場に出すこと自体かなりの宣伝になる可能性があるし、その上「共犯者」は自ら進んで優秀な広告塔になってくれる。

 

というのがクラウドファンディングの簡単な説明だ。

ここから先は、私が番組を見ていて思いついたアイデアがあるので、それについて述べたい。

 

今回のオイコノミアでは、「分業」についても触れられていた(分業についてはわざわざ説明しない)。西野氏の「えんとつ町のプペル」は数十人のクリエイターの分業で作られているらしい。そのクリエイターたちは、共に絵本を制作した「共犯者」と言える。

また、西野氏はクラウドファンディングで出資した人々のことを「共犯者」と呼んでいた。確かに、自ら出資し、宣伝的役割をも果たす出資者たちは、クリエイターほどではないとはいえ、絵本の制作に関わった「共犯者」と言えるだろう。

クリエイターという共犯者と、出資者という共犯者。この二つの共犯者は、どちらも作品の完成に寄与しているという点で本質的に同じものではないかと思った。

クリエイターと出資者は同じ…クリエイターと出資者は同じ…同じ…同じ…

ピコーン!ひらめいた!だったらクリエイターと出資者、二つの共犯者は、ごちゃ混ぜにできるんじゃないか?

つまりこんな感じだ。

 

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とまあできてみれば、誰かが既にやってるなり思いついてるなりしてそうなアイデアだった。要は映画ドラえもんのハガキでアイデアを応募するアレと、クラウドファンディングを組み合わせただけだ。出資者は自分のデザインを作品に反映できて楽しいし、企画者は余白をアウトソーシング(分業)できる。そしてもちろん資金も集まる。一石三鳥だ。

(自分のデザインが出てきていると周りに自慢をしたくなる、つまり広告塔としての力が強まるなど、解釈によっては四鳥にも五鳥にもなる。)

しかし、探してみても例があまり見つからなかった。結構いいアイデアだと思ったのだが。誰かやってないのだろうか。もっと探せば見つかるだろうか。

(リトルウィッチアカデミアの映画などはこのやり方ができそうなので、やったらよかったのにと思う。やったらやったで労力が余計必要になりそうだが)

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

オイコノミアを見て① ~キングコング西野氏は正しいが、うるさい~

(①はフリーミアム編、②はクラウドファンディング編である)

 

はじめに言っておくが、この記事は題の通りキングコング西野氏の意見、やり方を肯定する内容である。肯定するのは私自身がもともと、オープンソース、フリーカルチャー支持派であり、そして金儲けが大好きだからである。

しかし、西野氏の考え方、やっている事を肯定する前に、まず私がしなくてはならないのが西野氏への感情的な批判だ。気持ちよく肯定するために、まずイライラという感情の膿を出しておこうかと思う。

 

(今回のオイコノミアだけを見て思ったことだが、キングコング西野氏はとにかくうるさい!3Dアニメーション会社の人が話している時だったり、又吉氏が話している時に「わかるわかる」うるさすぎる!

撮影中ですけど!3Dの人の話聞きたいんですけど!酒の席とか女子会みたいなノリで話をさえぎるのはマジでやめていただきたい。うるさい。3Dの人マジで一回キレかけてたんじゃなかろうか。

又吉氏なら相手がちゃんと話し切ってから、「あ~でも分かる気がしますね」と静かに初められるのにどうしてそれができないのか。オイコノミアという番組が分かっていなかったのかもしれないが、もうマジでうるさかった。

それと、奴隷解放宣言以来二度目に見たブログが過激すぎる。あんなもん炎上するに決まってる。炎上とかもういいのでもう一度又吉氏と一緒にキングちゃんに出て何かしらひどい目にあってほしい。)

 

今回のオイコノミア「マンガとアニメ 熱~い現場の経済学」は、まれに見る当たり回だった。この記事では西野氏が触れた分業、クラウドファンディングフリーミアムを中心に触れるが、同人活動やフリーカルチャーを支持する私としては「ブラックジャックによろしく」の例で、フリーな二次利用の有用性にも触れられていたことに一番驚いた(今回は触れないが)。

 

ではまず、炎上の原因となったフリーミアムから先に触れていく。

フリーミアム - Wikipedia

フリーミアムとは、簡単に言えば「一部無料一部課金」だ。

その歴史は古く、約100年前にキング・ジレット氏(カミソリのジレット社の創業者)がカミソリの本体を無料で配り、替え刃を高く売る「替え刃モデル」を行ったのが始まりだ。今でもビジネスホテルでは、無料でカミソリの本体が配られている。【キング・キャンプ・ジレット - Wikipedia

このフリーミアムについては、クリス・アンダーソン著「フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略」に詳しくのっている。フリーミアムに興味を持ったのであればぜひ読んでいただきたい。超名著なので後悔はしないはずだ。【Amazon CAPTCHA

 

このフリーミアムを絵本に用いるということについて西野氏の意見を要約すると、

①絵本を買い与える主婦には時間とお金がない。

②絵本の買い物を失敗できないが、忙しいので本屋で長々と立ち読みできない。

③結果自分が子供時代読んだ絵本を買い、新しい絵本はなかなか売れない。

④新しい絵本を売るにはウェブ上での試し読みが有効と判断した。

という感じだ。

lineblog.me

 

私は絵本についてあまり詳しくないが、理屈としてはバッチリ通っているように見える。絵本も実際売れているらしい。つまりこの判断は正しかったというのは、結果が既に証明している。どれだけがフリーミアムの影響でどれだけが炎上の影響かは分からないが。

そもそも、この絵本をどう売ろうが西野氏の勝手である。ジレット氏はカミソリを無料で配った結果潰れることになるであろう他のカミソリ屋のことを、いちいち気にしなければならないのだろうか?

 

さて、この西野氏の例では面白い、他とは異なっている点がある。西野氏が絵本の一部のページではなく、全部を公開したという部分である。

私がよく思うのは、書籍や漫画とフリーミアムは多分相性がよくない。話の全部が無料で読めるなら、お!読んでみようかなという気になるのだが、無料で読めるのは何巻まで、何章までと最初から制限されていると、なんとなく読む気が起きないからだ。

 

(FREEにある言葉を使うと、全編無料だと「心理的取引コスト」がほとんど一切かからないのだが、一部無料だとほんの少しかかってしまうのだと思う。

つまり、一部無料の場合はその一部を読み終わった時に、続きを購入するのか、しないのかの判断を迫られる事になる。その判断には、「本当に値段に見合った物か?」、「今月の小遣いでやりくりできるか?」などといった事を「考えなければならない」。その「考えること」自体がコストなのである。これが「心理的取引コスト」だ。

フリーミアムを語る際、「心理的取引コスト」は超重要だ。有料の場合消費者にかかるコストはお金だけではない。「心理的取引コスト」もかかっている。つまり無料にすると消費者は金銭コストだけでなく、心理的取引コストからも解放される。

しかし逆に言うと、いくらお金がかからなくても心理的取引コストがかかる場合には、無料にも関わらず消費者が敬遠するということもありえるだろう。「何巻までタダで読める」や「エネルギーが溜まっている分だけ、無料で遊べちまうんだ」でなんとなく読む気、遊ぶ気が失せるというのは、そのいい例ではないだろうか。

また、無料でなくても心理的、その他取引コストを少なくすることで人を引き付けることもある。いい例がAmazonだ。

もっと安いところもあるのにAmazonを使ってしまうのは、いちいち登録などをしなくてもいい注文の気軽さ、いつも通り注文していつも通り届くという安心感があるからだ。つまり、値段で他より少し高いことがあっても、「登録する面倒」や、「心配すること」などといった取引コストを低く抑えることで、金銭コストと取引コストの合計価格では優位を保っているのである。

何かを無料にしていても、この「心理的取引コスト」についても意識されていない場合、無料の効果が思うように得られなかったり、無料にして逆に避けられるなんて事もしばしば起こるため、ぜひともその点は注意していただきたい。)

 

話を戻そう。 

無料の効果を最大限発揮するには全部公開が一番なのだが、本や漫画を全部無料で公開すると商売にならないため一部無料にするしかない。それによって敬遠する人も多少出て来るだろうが仕方のないことだ。

いや待て、絵本だったらどうだ?

絵本をウェブ上で全編公開することによって、本や漫画のように売れなくなるということが起こるのだろうか?いや、そんなことは多分起こらないのだ。

なぜなら、よほど前衛的な家庭でなければ、パソコンやタブレットを用いて子供に読み聞かせをするということはありえないからだ。

印刷できると言う人もいるかもしれない。だがおそらく、実際の絵本は印刷したものに比べてかなり綺麗なはずだ。よって絵本を買う大きなメリットがそこにある。

絵本は盲点だった。

つまり絵本は、ウェブ上で全編無料公開することによって最大限の顧客にアクセスしつつ、実物を買うメリットも確保することができるという、フリーミアムにものすごく適している数少ない財の一つと言えるだろう。

 

西野氏のお金の奴隷解放宣言が思いつきなのかは分からないが、「絵本の新しいビジネスモデル」という金鉱を発見したのは紛れもない事実であると思う。

理屈の上では明らかに絵本はフリーミアムと相性がいい。そしてそれは売り上げによっても証明されている。これからは西野氏のやり方が絵本業界の普通になっていくのではないだろうか、と私は思う。それぐらい相性がいい。

 

(今回のオイコノミアのロケは、漫画が三巻まで置いてあるという漫喫的な場所で行われた。全部公開するフリーミアムの西野氏の背景に、一部公開するフリーミアムの漫喫的な場所という、フリーミアムのコントラストがあって面白い画面だなと思った。私個人の意見で言えばこれから先そのコントラストは、成功と失敗のコントラストになるのではないかと思う。あの漫喫的なやつはどうもうまくいきそうな感じがしない。「なんとなく」だが。)

 

(この記事は、オイコノミアを見て② ~クラウドファンディング×分業~へ続きます)

 

 

(下は、お金の奴隷解放宣言に対する、「FREE」を読む前の私の反応である。DIWO的思想が少し入っている)

クリエイターは、もういらない ~お金の奴隷解放宣言(笑)騒動について~

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

キングコング西野氏を批判したアホどもはオイコノミアを見てFREEを読め!!

キングコング西野氏を批判したアホは、金曜日(2017年5月19日)0時30分からのオイコノミア、「マンガとアニメ 熱~い現場の経済学」を見て、クリス・アンダーソン著の「FREE【Amazon CAPTCHA】」を読むべきだ!!

(現在、2017年5月18日1時14分、酔っぱらっているため、続きは後日書く。今書くと余りにも過激になりすぎそうだ。)

(下は後日書いた続きです)

オイコノミアを見て① ~キングコング西野氏は正しいが、うるさい~

オイコノミアを見て② ~クラウドファンディング×分業~

けものフレンズで確かに広がるオープンイノベーションの流れ

私がかねてより期待していた「けものフレンズ」の同人を通じたオープンイノベーションの流れが、小さな芽であるが動き始めているのを感じて私は興奮した...という話だ。

 

私は常日頃から、

kemono-friendsch.com

というサイトをチェックしている。なぜなら、このサイトにはけものフレンズの同人イベントやツイッターの創作の投稿など、二次創作の情報が多くまとめられているからだ。

私はツイッターを(面倒だから)やっていないので、二次創作の情報があまり入ってこない。そのため、このサイトのまとめる二次創作の情報はとてもありがたい。

今日もこのサイトで新しい二次創作が何かないかチェックしていたのだが、とてもおもしろい記事を見つけた。

 

kemono-friendsch.com

けものフレンズのアスレチックゲームのアイデアツイッター上で公開していた...という記事である。

(貼られていた画像等を転載するのは念のためやめておく。リンク先で見ていただきたい。)

調べてみた結果、ツイッター上でこのアイデアを公表したのは、村上ヒサシ氏(@M_hisashi)であるようだ。(ツイッターをやっていないので確信はないです。間違っていたら本当に申し訳ないです。)

 

twitter.com

 

twitter.com

 

このようにアイデア(データ、知的財産)をオープンにすることによって、協力者を募り、たくさんの人が互いに協力して大きなことを成し遂げようとする動きは、オープンイノベーションと呼ばれている。

以前私は、オープンイノベーション同人活動は相性がいいのではないかと指摘してきたが、この例はどんぴしゃりでオープンイノベーションのような動きをしている。

しかも、この記事に対するコメントでは、このゲームを3Dデータ化しようとする人も現れているのだ(記事の5つめのコメント)!満役である。これをオープンイノベーションと呼ばずに何をオープンイノベーションと呼べるだろうか!

(ちなみに、例の5めのコメントでは「売る」という言葉を使っているが、けものフレンズの二次創作のガイドライン上、過度な営利性の無い範囲でのみ「売る」という行為は可能である。)

 

とうとう動き始めた。けものフレンズは、東方projectに並ぶ巨大二次創作コンテンツへの第一歩を踏み出しつつある...と思うのは私だけだろうか。(いや、けものフレンズオンリーの同人イベントの盛況を見ると、とうの昔に歩き始めているのかもしれない。)

村上ヒサシ氏の素晴らしいアイデアが出来る限り広く拡散され、多くの協力者を集め、結果として素晴らしいアスレチックパークゲームが実際に完成することを祈るばかりである。

 

※追記

(村上ヒサシ氏について調べてみたのですが、あのデュエマやガンバライドなどでイラストを請け負った超スゴいイラストレーターの方のようです。プロという事は、オープンイノベーションとある意味対極の位置にいらっしゃる方かもしれません。この記事が仮にそういった創造のプロの方の目に入った時、不快な思いをなさらないかが心配です。それについて先に謝っておきます、すみません。)

 

(この記事に出てきた「オープンイノベーション」という用語、そしてその同人活動との相性については、以下の私の記事で解説しています。)

同人をオープンソースにするということ(上) ~オープンソース、オープンイノベーションとは~

同人をオープンソースにするということ(下) ~二次創作という可能性~

 

(この記事は、「みんなのもの」、けものフレンズ ~CGM、UGCへの転換点~の補足的なものでもあります)

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

「INTP-T(論理学者)」は当たっているのか?

16Personalitiesという自己診断的なものが流行っているので、私もやってみた。

 

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結果はINTP-T(論理学者)というものだった。「当たると話題になっています」とのことなので、実際に合っているのか、INTP-Tの説明文を吟味してみる。

 

(以下太線部はhttps://www.16personalities.com/ja/intp型の性格からの引用である)

 

INTP型の人はかなり珍しく、全人口のわずか3%を占めていますが、「平凡である」ことが何よりも惨めだと思うINTP型の人達にとって、これは良いことです。

 

平凡なことが惨めとまでは思わないが、普通じゃない方がより良いとは思っている。(といっても、単にラッパーDEV LARGEの影響というだけなのだが)

 

持ち前の発明力や創造力、独特の視点や力強い知性を誇りにしています。哲学者や建築家、または空想好きの教師が多く、歴史の中で数々の科学的発見に関与してきました。

 

想像力なら自身があるが、創造力には自信がない。力強い知性?持っていない。独特の視点は持ちたいとは思っているがどうだろうか。

哲学は実用性に欠けるので嫌いだ。建築もあまり興味ない。教師ではないし、なりたいと思ったこともないが、空想好きなのは当てはまる。科学的発見に関与したことはもちろんない。

 

INTP型の人達はその明晰な持論や容赦ない論法で有名で、事実、あらゆる性格タイプの中で、最も綿密な論理思考の持ち主だと言われています。

 

明晰で綿密なのかは知らないが、論で何かを批判するのは好きだ。「容赦ない」というのは当てはまるかもしれない。

(「言われています」って誰が言ったのだろうか。)

 

パターンを好み、発言の矛盾点を指摘することにかけては、ほぼ趣味と言ってもいいほどなので、INTP型の人に嘘はつかない方が良いでしょう。

 

そんなに趣味悪くはないし、パターン好きという自覚は無い。確かに嘘を疑う時は過去の発言を参照するが、それはごく普通のことだと思う。私自身、人の嘘を見抜けるという自信はない。

 

しかし皮肉にも、INTP型の人達の言うことは常に鵜呑みにはできません。これは、INTP型の人達が嘘つきだというわけではなく、完全には確立されていない考えを共有する傾向があるためです。他人を、実際の話し相手として見るのではなく、自らのアイデアや論理について自分自身と討論する際の反響版として利用しているのです。

 

うっ、頭が….。思い当たる。

このせいでずいぶん友人に迷惑をかけた。自分の論、考えを延々と話し続ける私にうんざりした友人が勘弁してくれと言い、私は自分の考えをワードに書き連ねるようになった。それがこの言語訓練なのである。

 

このことから、INTP型の人達は信用できないように見えるかもしれませんが、実際は、INTP型の人達ほど熱意をもって問題点を指摘して、その問題を取り巻く果てしない要素と詳細にメスを入れながら、ユニークで実行可能な解決策を見出せる人はいないのです。

 

繊細とかユニークとかは知らないが、熱意をもって問題点を指摘するというのは当てはまると思う。解決策もまれに提示する。一瞬で熱が冷めるため実行する事は無いが。

 

ただ、進捗報告が期限通りに届くことは期待できません。日常的な実践活動や維持管理には興味ありませんが、自分が持つ非凡な創造力と潜在能力を発揮できる環境を見つけると、時間やエネルギーを際限なく費やし、実態を見透かした先入観にとらわれない解決策を見出します。

 

予定通りにできないというのは頭痛がするが当てはまる。日常的うんぬんも当てはまる。

興味を持った事に時間とエネルギーを極限なくつぎ込むのは確かによくある。解決策を見出すかはまた別の話だが。

 

果てしない夢想の中をさまよっているように見えるかもしれませんが、その思考プロセスは途切れることなく、頭の中では目覚めた瞬間からアイデアが飛び交っています。こうして絶えず考えながら、頭の中で本格的な議論を展開していることもよくあるため、物思いにふけり、孤立しているように見えることもありますが、顔見知りの人や同じ関心を持つ人々と一緒にいる時は、心底リラックスし、フレンドリーになります。

 

果てしない夢想の中をさまよっている感はある。一日の中で、頭の中で議論を行う時間は確かに多い。孤立はしていないと思う。友人も別段多いわけではないがいる。リラックス、フレンドリーうんぬんは、まあ普通だろう。

 

しかし、見知らぬ人々に囲まれると、とてつもなく臆病になり、自分の論理的な結論や理論が批判されていると見て取ると、友好的な物腰がたちまち闘争的な態度へと一変します。

 

見知らぬ人々に囲まれるのは、まあ平気だが、見知らぬグループに囲まれる(知らない人たちが全員互いに知っている)とさすがに不安になる。逆に不安にならない人がいるのか?

自分の論が批判されると、確かに闘争的、感情的になる。しかし私の場合、そもそも自分の論を真面目に聞いてくれる人が本当に少ないので、批判されると嬉しいというか、ワクワクした気持ちにもなる。また、質の高い批判は論を一層洗練させるのに必要不可欠だというのも理解しているつもりだ。

 

自分の最新のアイデアの土台となる論理的な結論同士のつながりを説明しようとして、とりわけ興奮すると、会話の内容がほとんど支離滅裂になることもあります。この場合、わかりやすい言葉で説明しようとするよりも、話の主旨が理解されないまま、あっさり話題を変えることが多いのです。

 

思い当たる。友人に考えを話す際はしばしばこの状態に陥る。3つや4つほどの話題を平行して話すので聞いている方は多分意味が分からない(そもそも聞いていない事が多いが)。

この段階では考えを伝達するステージまではまだまだ遠いので、理解を求めずに話すだけ話すばかりである。

 

また、他人がINTP型の人達に対して、自分の思考プロセスを主観と感情を交えながら説明する際は、その逆もあり得ます。非常に複雑で規則正しいぜんまい仕掛けを想像してみてください。あらゆる可能な事実やアイデアをかき集めて、それをおびただしい量の独創的な論法で処理し、可能な限り最も理に適った結論に帰す、これがINTP型の人達の頭の中で起こっているのです。このぜんまい仕掛けを、感情という破壊的スパナでいじくられるのは我慢ならないのです。

 

(「その逆」ってどの逆だ?「論理的な結論同士のつながりを説明しようとして」の逆だろうか?)

思考プロセスというのがイマイチ何なのかよく分からないが、確かに論や考えに感情を持ち込まれるとイライラする。感情を持ち込むと論、考えはただの感想になるので、そんなものは発表したり押し付けたりするに値しないからだ。

 

さらに、主機能のひとつに論理型(T)特質を持ち、感情的な訴えは一切理解できない傾向があるため、INTP型の人達に対しては、最低限の情緒的サポートも望めません。

 

確かに理解できない。理解する必要性をあまり感じない。私がかなり忘れっぽいせいかもしれないが、それで不便した記憶もない。

情緒的サポートの必要性もあまり理解できない。そんなサポートでは話が前に進まないので、すごく空虚、無意味、ネガティブなサポートに見える。共感なぞしても後ろ向きがひどくなるだけではないのか。サポートとは前に進むためのものだと思うのだが。

(もちろん黙って話を聞いて甘味を献上するくらいの芸当なら私にもできる。甘味を食べれば前向きになれるためそれは合理的なサポートだ。)

 

根本的な問題の解決方法として、論理的な提案を並べることが非常に多く、道理型(F)の仲間から疎まれることもあります。こうした見方は、ほぼすべての社交的な集まりや目標にまで及び、夕食を計画する際や結婚する時などにも、独創性や効率の良い結果を非常に重視します。

 

論理的というより、効率的な提案を並べる事は多い。人に疎まれているかは分からない。自覚が無いだけで疎まれているかもしれない。

効率が良いということが悪である場所はこの世にほとんどないと思っているため、様々な場面で効率主義を通すというのは確かに思い当たる。

 

INTP型の人達にとって大きな壁となっているのは、絶えず付きまとう失敗に対する恐怖心です。自分の思考や理論に決定的な欠落がないかを心配して見直すあまりに、立ち往生し、自分の考えが正確に当てはまることは決してないのだという、実体のない世界の中に迷い込んでしまいます。こうした自信喪失を克服することが、INTP型の人達が直面する最大の課題ですが、INTP型の人達には大なり小なり知性という才能があります。この知性を活かして闘う価値を見い出した時、世の中に貢献します。

 

自覚はないが、どうなんだろうか。私の場合ひどい飽き性なので、立ち往生とか実体のない世界に迷い込むというレベルに到達する前に飽きてしまって、考えるのを放棄してしまうのであまり恐怖心などを感じないのかもしれない。

ただこの飽き性によって、自分が何かにおいて通用することは一生ないのだろうなという確信と不安はある。

 

INTP-Tの説明文を吟味してみて、かなり、というかほぼ当たっているんじゃないかと思った。全体を通して頭痛がする内容であった。

 

私の数字を見ると、ENTP(討論者)にも少し近いようなので(意識-外向型が50%以上で討論者らしい)、時間があればそちらもいつか吟味してみようかなと思う。

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)