チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。@chimp_liuwusi

登録して数分でtwitterから追放された

便利そうなのでツイッターをやろうとしたら、電話番号を追加というページから動かなくなった。

私が何か不正を行ったらしい。何か個人情報が抜かれてないか設定をいろいろ見ていただけなのだが。

gmail以外の個人情報を与えるのが気持ち悪いので(しかも普段使いのgmailではなくダミーを作って登録する念の入れようだ)、これは実質追放処分である。

もう面倒なのでアカウントを削除したいが、それもできない。困った。

電話番号強制徴収とかツイッターキモイ。マジキモイ。マジ怖い。怖いからもうやらない。怖いから二度と一生やらない。

フリーカルチャーの「フリー」って何?(まとめ) ~パワポで要点まとめ~

パワーポイントで要点をまとめてみました。

 

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(以上のスライドは自由に転載していただいてかまいません。)

 

フリーカルチャーの「フリー」って何?① ~表現の民主化へ~

フリーカルチャーの「フリー」って何?② ~創造コストの削減~

フリーカルチャーの「フリー」って何?③ ~継承という分業~

 

(このスライドが現時点での私の集大成です。これ以上はもうアウトプットできません。この話題についてはもう空っぽです。

偶然「表現の民主化」という言葉に出合い、読むべき本をたくさん発見し、この思想の世界が一気に広がりそうなので、しばらく楽しいインプットの日々が続きそうです。インプットしながらアウトプットすると思います。せずにはいられない性格なものなので。)

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

フリーカルチャーの「フリー」って何?③ ~継承という分業~

(この記事は、

フリーカルチャーの「フリー」って何?① ~表現の民主化へ~

フリーカルチャーの「フリー」って何?② ~創造コストの削減~

の続きです)

(簡単な要点まとめはこちら)

 

さて、前回は「創造障壁」と「創造コスト」についての説明と、創造障壁を低くし、創造コストを0に近づけるためにツール(道具)が進化しなければならない事を説明した。

しかし、創造の自由=創造コストゼロはツールの進化だけで達成されるものではない。ツールと同時に、創作を取り巻く制度、環境の整備が不可欠である。具体的に言うと、引用と継承の制度である。

例を挙げて説明しよう。

 

あなたは趣味でMMDアニメーションを作っているとしよう。

けものフレンズを見て感動したあなたは、博士と助手のスピンオフMMDアニメを作る事を決意する。

MMDを作るためにまず必要となるのは、キャラクターの3Dモデルである。しかし、モデリングツールがどれだけ優秀でも、モデルの制作にはかなりの労力(創造コスト)がかかるだろう。

私はMMDモデルを作ったことは無いので予想なのだが、アニメを細かく観察し、それを3Dへ映しこみ、それに関節を設定し…的な作業が必要になるのかなと思う。いくらツールが優秀でも、これは大変だ。

 

ではこの場合、どうすれば創造コストをツール以外で削減できるのか?

その答えが引用と継承である。

例えば、他の誰かが博士の3Dモデルを既に作っていたとしよう。もしその3Dモデルのデータ(ソースコード)が公開されていれば、あなたは博士の3Dモデルを作らなくて済む(引用できる)し、博士の3Dモデルに少し手を加える(色、大きさなど)ことによって、助手の3Dモデルを圧倒的低コストで作る(継承できる)事が可能なのだ。

このように、データを公開して引用、継承させることが、大幅な創造コスト削減につながる。これはオープンソースと呼ばれる。

 

博士のモデルを作った製作者からすると、モデルを公開することはあまりメリットが無い、つまりただの慈善事業に思えるかもしれないが、実はそうではない。

公開することによって、製作者はわざわざ自分の手で助手のモデルを作る必要がなくなったのだ。自分のモデルを元に他のフレンズのモデルが作られる可能性もある。博士のモデル製作者は、データ公開によりそれらのモデルをゼロコストで自然発生させ、その果実を利用する事が可能になるのだ。

3Dデータという種をインターネット世界へまき、その種が世代を重ねて広がってゆき、のんびり待っていればそのうち実った新しい3Dデータという果実を収穫できる…という感じだ。データの公開は慈善事業などではない。未来の無限の可能性への投資だ。

 

継承(オープンソース)によって、みんなが創造コストを大幅に削減できる理由は、その実態が「大規模な分業」だからである。

この例の場合、博士のモデル製作者と、そのデータを利用して助手のモデルを作ったあなたは分業、協力していると言える。

データ(ソースコード)の公開とその利用によって、データを通じ、世界中の人、過去の人、未来の人…という、膨大な人数で分業することができるのだ。

通常の意味での分業と違い、何が作られるか制御することはできない。公開した人が望んだものが生まれないかもしれない。しかし、想像もできなかったものが生まれることもあるだろう。創作がビジネスでなければ、この無秩序はよい影響を与えることが多い。

 

このように、ツールの進化だけではなく、データを引用、継承させる環境を整備するというアプローチでも、創造コストを削減することが可能である。

(ちなみに

「引用」:公開されているデータの一部や全部をそのまま使うこと。

「継承」:公開されているデータに一部自分で手を加えて使うこと。

と勝手に呼んでいる)

 

これら二つ(ツールと継承)のアプローチによって、

創造コストが下がる⇒創造参加者が増える&データ公開による損が縮小しデータ公開促進⇒分業できる人数が増える⇒創造コストが下がる

の良循環が起こせるのではないか、結果、全ての人がクリエイティビティを発揮できる社会、「創造が民主化された社会」を実現できるのではないかと私は考えている。

それはつまり想像力=創造力の社会である。(想像:頭に思い浮かべる 創造:想像を現実のものにする)

誰もが想像したものを現実のものにできる世界…実現したら絶対に面白い世界になる。そう思わないか?

 

(データを公開するということは、創作から金銭での利益回収ができなくなるということだ。その場合創作コストが多くかかると損失がかさみ、創作活動は持続不可能になってしまう。しかし、以上のように創造コストを0に近づけることによって、損失額を小さくすることが可能である。つまり、このサイクルは持続可能であると私は思っている。)

 

長くなったが、以上が「フリー」を追う私の思想の説明だ。

 

この記事を書くきっかけとなった「表現の民主化」という言葉との偶然の遭遇によって、参考でできそうな言葉や本にたくさん出合えた。一応それらをここに列挙しておく。

 

表現の民主化

www.meiji.ac.jp

 

 

当事者デザイン

当事者デザインという言葉との出会い | Makoto Tomita

(この記事のおかげでいろんな言葉や本と出会えた。)

 

創造社会、パターンランゲージ

Amazon CAPTCHA

井庭崇のConcept Walk

 

一般化

note.mu

 

読むべき本が一気に増えた。

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

三年後離職率を気にするレッテル民族

今どきの就活生は流動化という言葉をご存知ないのだろうか?

それとも、東芝やシャープや東電の惨状を見てもなお、日本に「安定」なるものがあると信じているのだろうか?最近の学生は新聞を読んでいるのか?

調べたわけじゃないが、こんなこと気にしてるのは日本くらいじゃないだろうか。組織からの独立性、自立心がないというか、就職する前から組織に対して依存的すぎる。奴隷根性丸出しじゃあないか。

なぜそこまで組織にすがるのか。こんな世の中じゃあ信じられるのは自分の力だけだとちょっと考えれば分かるだろう。

必死こいていい大学に行ってシャープや東芝に入った人を見て、何も学べないのか?

 

属する組織ではなくて、持つ能力や得ている金こそが最もその人間が何たるかを決定づけると思うのだが(思うというか当然そうなのだが)、どうも日本人は特異な民族のようだ。

彼らは組織が大好きで大好きで仕方がないらしく、他人に対しても、また自分に対しても、属する組織というレッテルばかり気にする傾向があるようだ。

組織に異常なほど依存、粘着し、通常持ち合わせるべき程度の自立性すら持ち合わせない...ということが日本人に多くみられるのは、多分このせいだ。(これは日本人があまり起業しない原因でもあると思う。)

組織という余りにシンプルで依存的なレッテルで人を判断し、自身のレッテルを非常に気にする民族。彼らは、東京大学に"属する"実験用のマウスにすら頭が上がらないのだろうか。...いや、冗談じゃなく本当に上がらないかもしれない。

私は彼らに、「レッテル民族」というレッテルを貼ろうと思う。レッテルが大好きな彼らのことだ、きっと気に入ってくれるに違いない。

 

(唯一の希望は、安倍総理大臣の流動化政策だ。しかし、働き方改革の内容ではまだ生ぬるい。)

フリーカルチャーの「フリー」って何?② ~創造コストの削減~

(フリーカルチャーの「フリー」って何?① ~表現の民主化へ~の続きです)

(簡単な要点まとめはこちら)

 

さて、前回では「創造の自由」について定義した。もう一度書いておくと、

 

「創造の自由」とは、「何にも邪魔をされずに」:”金、時間、才能、技術、環境、あらゆるものの欠如、その他全てのもの”に邪魔されずに、

自分の想像したものを正確に現実世界へ映しこみ(創造し)、表現する自由である。

 

今回はこの「創造の自由」から派生する言葉、「創造障壁」と「創造コスト」を軽く説明したのち、これらを小さくするためには何が必要であるかを、ツール(道具)の方面から見ていきたい。

 

私は創造の自由を上のように定義したが、創造の自由化を進めるということはどういうことかと言うと、「創造障壁」をできるだけ小さくし、「創造コスト」を0に近づけるということである。

「創造障壁」とは創造の自由を邪魔する障壁、つまり、

”金、時間、才能、技術、環境、あらゆるものの欠如、創造の邪魔をするその他全てのもの”

である。

そして「創造コスト」とは、創造障壁を乗り越えて創造(想像⇒実体)するのにかかるコストである。

 

10歳の子供がポケモンに感化されて、自分オリジナルのゲームを作りたいと思っている…という場面を想像してほしい。

彼は頭の中に、かなり完成されたゲームのイメージを持っている。つまり、「想像する」という作業はほとんど完了しているとしよう。

この場合、彼に残された作業は、想像を現実に映しこむという作業だけである。それは「想像する」作業に比べれば単調で、機械的作業(人間が行う必要のない作業)とも言えるだろう。

さて彼は、ゲームを完成させることができるだろうか?いや、多分不可能である。

それは、想像と実体の間に「創造障壁」があるからだ。

この場合の創造障壁は、プログラミング能力の欠如、ゲーム開発の知識の欠如、塾通い故時間があまりないという欠如、ゲームを作るためのツールを買うお金がないという欠如、その他である。

これらの創造障壁を乗り越えて創造(想像⇒実体)するのにかかるコストは、余りにも膨大である。プログラミング能力やゲーム開発の知識を得るためにどれだけのお金と時間がかかるだろうか?それらを手に入れて、創造作業を完了させるにはどれだけコストがかかるのか?

結果、彼はゲームの想像を現実にするのを諦めた。世界を熱狂させたかもしれない彼の想像の未来がここについえたのだ。

 

では、彼が想像を実体にし、世界を熱狂させる未来を我々が得るにはどうすればいいのか?

言い換えれば、どのように「創造障壁」を小さくし、「創造コスト」を削減すればいいのか?

 

何よりもまず必要となるのは、創造を容易にするツール(道具)である。

 

ゲーム開発の例で見ると、RPGツクールというツールがある。あまり詳しくは知らないが、このツールがあればプログラミング能力がなくてもRPGが作れるらしい。プログラミング能力の欠如という創造障壁をなくし、プログラミングの習得に必要だった時間などの創造コストを削減することができるのだ。

だが、全ての創造コストがなくなったわけではない。まず、10歳がRPGツクールを自由に操作する技術を習得するには、ある程度コストがかかるだろう。また、RPGツクールは結構高いので、10歳にとってみれば金銭的コストもかなりのものだ。これらをクリアしても時間的コストがかかるかもしれない。10歳の子供が想像を現実にするには、多分まだ不十分な性能ではないだろうか(触ったことがないので推測だが)。

 

創造コスト削減に向け、ツールには以下のようなことが求められると私は考える。

・ツールがソフトウェアであれば無料であること、ハードウェアなら知的財産コストが価格に転嫁されていないこと(これはオープンソースによって可能だ)

・ツールの操作が容易であること(能力やセンスを必要としない、直感的)

・短時間で創造できてかつ、自由度が高いこと(この二つは同時に達成するのが難しい)

・ツールがオープンソースであること、進化し続けること

・ツールにより作られた作品がオープンソースにできること(これは、引用継承から創造コスト削減を行うためである)

 

究極目標としては、3歳児が自分の想像を自由に創造できなくてはならないと私は考えている。ツールは、3歳児に扱えるものでなくてはならない。それほど操作が容易で自由度も高いツールを作るというのは簡単ではない。

AIがなんかこう、うまいことどうにかやって達成されないかなあと思っている。AIにどんなことができるかよく知らないが。

 

しかしこれを達成してもなお、自分の想像を0から現実へとなると、かなりの創造コスト(特に時間)がかかってしまう。

それを解決しうるのが、引用継承、つまりオープンソースからのアプローチである。

それについてはまた次回説明する。

 

※追記

創造コストは、アイデアを形にするためにかかるコストであって、アイデアを思いつくためのコストではない。アイデアを思いつく(想像)作業はコンピュータやツールに任せることはできない。

 

(フリーカルチャーの「フリー」って何?③ ~継承という分業~へ続きます)

 

(このブログは私の言語訓練に用いられます)

「ENTP(討論者)」は当たっているのか?

前回、「INTP-T(論理学者)」は当たっているのか?の続きである。

 

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この結果を見る限り、ENTP型にも少し近いらしいので、ENTPについても当たっているか読んでみようかと思う。

 

(以下太線部は“討論者”型の性格 (ENTP-A / ENTP-T) | 16Personalitiesからの引用である)

 

討論者型の人達は、究極の悪魔の代弁者で、議論や信条を木端微塵にして、その切れ端を皆の目に届くよう風になびかせるといった過程を生きがいにしています。

 

当たっていると思う。私の他の記事を読めば分かると思うが、「論」のステージにおいては、私はかなり好戦的な性格だ。

私の場合、自然科学、生物学、経済学の崇拝者であるため、モラルや人情など、感情的で不合理な不純物が相手の意見や論に混ざっているのを見るやいなや、すかさず合理や効率という武器で徹底的に叩きのめすという性癖がある。

 

より意志の強い他の計画型とは異なり、討論者型の人達がこうするのは、より深い目的や戦略的目標を達成するためではなく、単純に楽しむためなのです。討論者型の人達ほど、精神がぶつかり合う過程を楽しむ人はいません。討論者型の人達にとって、これは、楽々と機転を働かせながら、これまで培ってきた幅広い知識と異なる考え同士を繋ぎ合わせられる能力を活かして、自分の主張を証明する訓練ができるチャンスなのです。

 

当たっているような、いないような感じである。

私が行う議論には二種類ある(批判と相談)。

私は既存のシステムの中に非効率、不合理、改善点を探して指摘、批判するのがかなり好きなのだが、それを行っている時にはこれにとても当てはまっていて、感情論を理詰めで突き崩していくワクワクを私は心から楽しんでいる。

しかし、私の行う議論の全てがこのように破壊的というわけではなくて、建設的な議論もよくする。新しいアイデアを客観から評価してもらったり、別のアイデアと組み合わせることができないか相談する感じの議論である。これを行う際には、上に当てはまらない。

叩きのめすスイッチのオンオフがあるので、常時当てはまるわけではないが、オンの時はバッチリ当てはまる。

 

討論者型の人達の性質には奇妙な対比があります。頑として正直な一方、実際には信じていない物事を懇々と諭す一面があり、他人の跡を継いで、別の視点から真実を論じます。

悪魔の代弁者を演じることで、他人の論法を感じ取る力を養っているだけではなく、対立意見に対する理解力も身につけています ―これは討論者型の人達は議論する人種だからです。

この方策は、外交官が求める相互理解とは異なります。討論者型の人達は、あらゆる分析家同様、絶えず知識を探求していますが、知識を得る上で、あらゆる角度や側面から、考えを攻撃、弁護するよりも良い方法とは何でしょうか?

 

ボロカスに批判する一方で、対立意見への理解を深めようとする姿勢があるという意味だろうか?ちょっと日本語が難しい。

私の敵は基本的に非効率なので、対立意見の中に効率性を見出そうとすることはあるかもしれないが、非効率そのものについては理解しようとしない。

多分この部分は、討論者が感情的に論を振り回しているわけではなく、高度な客観性をちゃんと持ち合わせているんだよ~という注意書きなのだと思う。

 

討論者型の人達は、負け犬になることにある種の喜びを感じています。楽しく頭をフル回転させながら、一般的な考え方に疑問を投げかけ、自らがかけがえのない存在となって、既存のシステムを作り変えたり、物事を根底から覆して、巧妙で新しい方向へと導いたりします。しかし、自分が提案した物事の実施状況を日々管理しなければならなくなると、悲鳴を上げます。ブレーンストーミングをしたり、大きな視野で物事を考えたりするのは好きですが、「面倒な作業」をする羽目になることは是が非でも避けます。全人口のわずか約3%を占めていますが、討論者型の人達が根本的なアイデアを考案するのだけをした後で、より数多くいる綿密な性格タイプの人々が、その実施とメンテナンス作業をするには、ちょうどよい割合です。

 

思い当たる。INTPでも同じようなことが書いていった(システムの構築や改善は楽しいが、面倒な運用はやりたくない)。システムを提唱するだけしてポイしてしまうINTPやENTPの人は、この我慢弱い性格のせいで、かなりの金と名誉を我慢強いシステム運用者に譲り渡しているんじゃないかと思う。だが、金と名誉を犠牲にしてでも楽しくない事を避けるからこそ、連続犯的に新しいものを提唱できているという部分もあると思う。

 

討論者型の人達の議論能力は、厄介な存在にもなります。必要な場面で活かせることが多い反面、例えば会議中に人前で上司に向かって疑問をぶつけたり、重要な相手の人の一語一句に揚げ足を取ったりして、他人の気持ちを踏みにじって、無残にも失敗することもあります。また、頑固なまでの正直者で、遠回しな言葉を使わず、気配りができる、優しい人だと思われたいという気持ちがほとんどないために、状況はさらに複雑になります。同じような思考を持つ人とは、ある程度うまくやっていけますが、より繊細な人や社会一般の人々は、対立を嫌うことが多く、気持ちを優先に考え、心地良い雰囲気を好み、不快な真実や硬い良識に対して、罪のない嘘さえつきます。

 

さすがに揚げ足を取るってほどひどくはないが、ほとんど当てはまる。

正しい正しくないに目上も糞も無いと思っているし、「他人の気持ち」なぞは、「正しいということ」や「効率的であるということ」によって踏みにじっても全く問題ないと思っている。

そもそも、誰々からどのように思われたいという欲求がほとんどない。私にとってほとんどの人間は野菜も同然だ。野菜どもが私をどう思おうが、そんなことはどうでもいい。

生物学教徒の私にとって、効率的であること、環境に対して最適である、適応していることこそが正義なのであって、それを邪魔するもの、くだらない感情、気持ちなどは全て悪なのだ。

 

これに討論者型の人達は失望し、その口論好きな性格が災いして、時には気づかずに、他人の領域に土足で踏み込み、信念に疑問を投げかけたり、感情を無視したりして、後戻りできなくなることもあります。

 

私の場合、やりたい放題やっても意外と大丈夫だったりする。周りの人がいい人なのかもしれない。

 

やられたことはやり返し、甘やかされるのには耐えられず、人がとりわけ頼み事をする際に、遠回しな言い方をするのを嫌います。その視野や自信、知識、鋭いユーモアのセンスで一目置かれていますが、こうした能力を、より深い人間関係や恋愛においてうまく活かせないことが多いのです。

 

さすがにそこまでストイックじゃない。さっき言ったがオンオフは切り替えられるので、人間関係が云々は大丈夫だ。

私が効率を追い求めるのはそうすべき場所(ビジネスやシステム)だけであって、さすがに日常生活ではのんびりと暮らしているし、金が絡まなければある程度の非効率は受け入れる。少額でも絡むと目の色が変わるが。

 

討論者型の人達が生まれ持った才能を発揮できるまでには、大半の人よりも長い道のりがあります。持ち前の知的独立心や自由な視野により、責任者になったとき、または少なくとも耳を傾けてくれる責任者がいる場合、とてつもない力を発揮しますが、そこにたどり着くまでには、乗り越えなければならない困難があります。

 

権力を持てば上手く作動するが、歯車としては不良品だとでも言いたいのだろうか。

まあ確かにそうかなと思うところもあるが、正しいものを正しいと事を理解してもらうための努力、分かりやすく説明する努力を怠らなければ、困難はそこまで大きくないのかなとも思う。

正しいという事は何より大切だが、それに劣らず大切なことは、その正しいという事をみんなに理解してもらうことだと私は思っている。

理解は否定的感情を溶かすものだと私は信じているし、みんなに正しさを理解してもらった時、そこに敵などいないはずだと思っている。

 

こうした立場を確保したら、自分のアイデアを形にする過程の中で、常に他人に頼っていることを忘れないようにしましょう。合意を作り上げるためよりも、議論に勝つために時間を費やすと、成功する上で欠かせないサポートを得られなくなることが多いのです。悪魔の代弁者役が板についている討論者型の人達にとって、最も複雑で価値のある知的挑戦は、より感傷的な視点を理解することと、理論や進展に並び、配慮と妥協点を議論することだと悟ることがあるかもしれません。

 

残念ながら、効率を求めるべき場面で感傷的視点を持ち込む人間を理解したいとはどうしても思えない。

ジョジョにも書いてあった。

「納得」は全てに優先するぜッ!!

感傷的な視点を理解し、配慮と妥協点によって得られる協力が、本当の強さ、実効的中身を持っているとは私には思えない。

「納得」である。納得により正しさ、効率性を理解してもらい得られる協力こそが、配慮や妥協によって得られる協力よりも、ずっと信頼に値する、本当の中身を持った協力だと思っている。

私もそうだが、言葉という道具を攻撃に使いがちである。読んだ限りではENTPの人はそうであることが多いのではないだろうか。言葉は相互理解のために使うものだと常に意識していれば、感傷、配慮、妥協などといったくだらない言葉を使わずに、議論によって本物の効率的選択肢へたどりつけると私は信じている。

私に関しては言葉を武器として使わないように肝に銘じるのが一番大事かなと思う。

 

 

INTP、ENTPを読んで、どっちもかなり合ってるなあと思った。ただ、ENTPは常に当てはまってるわけではなくて、オンになってる時だけ当てはまるという感じだった。

プライベートの自分はINTPで、外に出てる時の自分はENTPなのかなと思った。

(仕事場でENTPみたいな人間になるのは理解できるが、プライベートでもそんな感じの人いたらヤバいと思う。絶対友達いない。)

もしかしたら血液型で性格出すインチキ占いみたいに誰でも当てはまるようになってるだけかもしれないが(笑)

 

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「公式がすり寄るな」について

腐女子やオタクが「公式がすり寄るな」、「公式がやると萎える」と言うことがある。

それは、「余白」を自由に想像するのを公式に邪魔されることへの拒絶でもあるんじゃないかとふと思った。

下記のリンクを読んでもらえれば言わんとすることは分かると思うが、後日詳しく説明したい。

 

想像/創造の余地について① ~魔法少女まどかマギカはなぜあそこまで盛り上がったか?~

想像/創造の余地について② ~けものフレンズが残した「余白と土壌」~