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チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。

美容整形と生物

言語訓練 随想

人間界では、美容整形なるものが流行っているようだ。大辞林という辞書によると、美容整形とは、容貌や容姿を美しくするために、外科的処置・手術を行うことだそうだ。人間は自らの容姿を長期間にわたり変えることができるようになり、それが普及しているというのだから、驚きである。

この美容整形、比較的容姿に恵まれない、すなわち持つ遺伝子的に恵まれない個体にとっては大変便利なものである一方、容姿に恵まれる、すなわち持つ遺伝子的に優れている個体にとっては、非常にやっかいなものにちがいない。一つに、自分が交配相手を選ぶ際に頼りにしていた情報がモザイク化されてしまうことによる不便、もう一つが、自分が遺伝子的に持っていたアドバンテージがうやむやになってしまう不便である(一つ目が選ぶ際の不便だとすれば、もう一つは選ばれる際の不便と言える)。

人間の美醜の根拠ははっきりしていない。それは免疫だというのを聞いた事がある。昔の日本の美醜の感覚は現在とかなり違うらしいとも聞いた事がある。しかし今回はその根拠についてはおいておくこととして、ある事実のみを見たい。その事実とは、以下のものである。

人間の感覚で美しいということは、どうやら遺伝子的に優れているということらしい。つまり、根拠は不明だが、少なくとも顔面においては、ブサイクよりも美男美女の方が生物学的に優れているのである。実際人間界では、美男美女の方が多く子どもを残す傾向があるのがその根拠である。

つまり人間は、優れた個体を見つける手段のうちの一つを失うことになったのだ。これはよくない事なのだろうか、それともよいことだろうか。私はどちらでもないと考える。これは、ただ単に環境が変化したととらえられると私は考えるからである。実際問題として、人間は美容整形という道具を手に入れてしまったのだ。それを歓迎する人もいれば、嫌う人もいるが、それに関係なく、(たとえそれを法で禁止しようが隠れて)道具を使う人は使うのである。ならば、それはもはや環境が(容易に顔で遺伝子の優劣が見分けられる環境からそうでない環境へ)変わったというしかないのだ(化粧の発明によっても同じような環境の変化が起こったにちがいない)。

仮に素顔がブサイクの整形夫(もしくは嫁)をつかまされたとしても、生まれた子供もまた整形すれば、全てはうやむやである。もはや整形を見抜く能力があるとかないとかの話ではなくなる。こうなってしまうと、顔面を優れた個体を見つけるバロメーターにするのはもはや不可能である。その上、整形は顔面にはとどまらない。となると、外見から優れた個体か否かを判断するという、動物界でそれは長い長い間当然とされてきた常識、環境が、おそらく近いうちに崩れ去ってしまうのである(あるいはすでに崩れているかもしれないが)。もちろん、今までの生物の歴史でも、自分の外見について異性をだますという進化はあったにちがいない。しかし、この人間の例については、自分が持っている遺伝子に関わらずだれでもだます事ができるという点で、今までのだましと明らかに異なっている。つまり、遺伝子の進化によるだましではないのである。チンパンジーである私はこのことについて、正直嫌悪感を抱いているのだが、そんなことはお構いなしにきっと環境は変わるのだろう。

しかしこのようなとらえ方もできる。これはある種の進化ではなかろうかと。水から地上へはい出た太古の生物にとって、水中でどれだけ優位に活動できるかは、もはやどうでもよいこととなったに違いない。それと同じように、人間は、肉体的にどれだけ優位であるかはもはやどうでもよい方向へ進化したのかもしれない。太古の生物たちが水に縛られた世界から飛び出したように、人間は、肉体に縛られた世界から、さて、一体どこへいってしまうのだろうか。おそらくその議論は人間の間でさんざんされているだろう。いずれにせよ、チンパンジーには関係のない話である。