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チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。

クリエイターは、もういらない ~お金の奴隷解放宣言(笑)騒動について~

みんながスーパーヒーローになったら、スーパーヒーローはもういらない。

ディズニー映画、ミスターインクレディブルの悪役、シンドロームのセリフである。

子供のころはこのセリフの意味がイマイチ分からなかった。何のためにそんな事をするんだろう、金儲けのためかな、としか思っていなかった。現在になって、このセリフには彼のスーパーヒーローへの憧れや妬みなどといった感情が込められていると分かった。スーパーヒーローになりたい。しかし、自分はスーパーヒーローになれない。全ての人間をスーパーヒーローにすることによって、自分を拒絶したスーパーヒーロー、彼が持てなかったスーパーヒーローの「才能」、そしてスーパーヒーローに憧れていた過去の自分自身をも全て否定してやるというのが、おそらくこのセリフの意味だろう。

(彼は便利な、しかし兵器にもなりうる強力な、スーパーヒーロー以上の力を得ることができる道具、ツールを流通させることによって、世の全ての人間をヒーロー化させようとしていた。目的はどうあれ、やろうとしている事が、結果として世の中をより便利にすることや人を救うことにもつながりうる、つまりその企み自体は完全な悪とは言い難いというのは面白い点である。)

さてさて、これはフィクションの話であるが、現実にもスーパーヒーローと同じように、多くの人の憧れや妬みを受ける人々がいる。それは、スーパーヒーローと同じように才能などといった、全ての人に与えられるものではないものを必要とするものである。それは、クリエイターである。

クリエイター、特にそれで生計を立てるまでになるには何が必要か。まず最も必要とされるのはおそらく才能である。才能と言ってもセンスや忍耐などいろいろあるがそれについてゴタゴタ言うのは面倒なので割愛する。他には、金と時間と教育(これらは初期資本と呼べるだろう)、社会的責任を持つ必要がない状況、その他….などが必要であると思う。どれだけ求めてもなれない人にはなれないという点は、スーパーヒーローによく似ている。

つい最近まで創造は、クリエイターの特権であった。しかし現在、その特権は崩れつつあるように思う。かつて音楽を創造するのはプロのミュージシャンや、楽器や音楽教育のサービスを買うための大金、その他才能などを持つ人の特権であった。しかし現在は、プロのミュージシャンでなくても、楽器や音楽教育のサービスを買うお金などがなくとも、バーチャルな楽器や歌手を用いることによって音楽が創造できる。しかもその創造物を広く知ってもらい楽しんでもらうという、かつてはプロのミュージシャンにしか許されなかった事も、現在は可能である。音楽以外にも、造形(レゴブロック)、漫画(コミpo)、アニメーション(アドビフラッシュプレーヤー)、エンタテイメント(youtube)、絵(GIMP)、写真や動画(スマートフォンのカメラや編集アプリ)など(カッコ内でその創造を容易にしたツールで思いつくものを挙げてみた)、様々な方面で、創造が容易に、持つ者の特権ではなく多くの人が楽しめる物になりつつある。AIだのVRだのARだのの技術の発展などによって、今後この動きがますます加速するのはおそらく間違いないだろう。

このような動きによって、かつて創造することが許されなかった人々はアマチュアのクリエイターになることが可能になった(なりつつある)。またそれと同時に、アマチュアのクリエイターは、その創造物のクオリティを、それこそ一部ではプロに比べても遜色ないレベルまで大きく引き上げることが可能になった(なりつつ以下略)。みんながクリエイターになりつつあるのだ。才能、時間、お金、教育、その他に恵まれなかった人間にも、創造が、しかもかなり高いクオリティでできるようになりつつあるのだ。

みんながクリエイターになれば、クリエイターはもういらない。

このことが現実になりつつあるのではなかろうか。テレビで放送しているドラマやバラエティー番組と比べても遜色ほど面白い動画がyoutubeでyoutuberによって公開されていて、多くの人がテレビではなくyoutubeを見ることを選び、結果、芸能人やテレビ作家が失業する….ということがもしあれば、それは、バラエティーの”プロの”クリエイターはもういらない。ということである(個人的になんだかありそうだなと思った例を挙げてみたが、実際そんな事が起こっている証拠も、これから起こる根拠もない)。

さて、お金の奴隷解放宣言(笑)について、何かと批判があったらしい。その内容も多分いろいろあるだろう(批判の内容について詳しく知りたいとはとても思えない。無料というのは当然ながら商売の一手段であって、それを批判する意見というのはおそらくほとんど馬鹿馬鹿しいものだからである)。

(ちなみに、お金の奴隷解放宣言とタイトル付けられたポエムの出来は非常にグロデスクであり、金の亡者である私は一瞬思わず拒否反応を示してしまったので、同じような虫唾を感じた人には正直共感できてしまう。しかし同時にいい意味で驚かされもした。この異常なまでに気持ちの悪いポエムはその気持ち悪さ故に、単なる、ごまんとある芸人のブログの一記事でありながら絶大な宣伝効果を得ることに成功しており、金の亡者としてその点は非常に感心し、巧妙に仕掛けられたそのマーケティングには学ぶところがあると思った次第である)

おそらく、これら批判の中には、プロのクリエイターの保護を叫ぶものがあるだろうが、今回の題材はこれである。

プロのクリエイターの保護。これほど馬鹿馬鹿しい一文があるだろうか。保護されなければ生き残れないようなクリエイターは、もういらない。のである。ここまでつらつらと書き連ねた通り、クリエイトはもはやプロがする必要はないのだ。様々なツールの発展によって、多くの人がアマチュアのクリエイターになれて、そのアマチュアのクリエイターの創造物のクオリティは高い、もしくは高くなりつつあるのである。アマチュアでもクリエイトできるのだ。現に、キングコング西野さんという、お笑い芸人の方が、絵本作家のプロでないにもかかわらず、2000円というお金が取れるクオリティの絵本を作っているのである(キングコング西野さんが一人で作ったのではないという声が聞かれるが、西野さんは”おそらく”共著者と不当ではない契約を結び、報酬などの約束を果たしているのであろうこと、商売の一手段としての無料化を”おそらく”共著者と相談した上で決断したのであろうことから、それはどうでもいいことと思われる。申し訳ないがそのあたりを詳しく調べたいと思わない)。

そもそも無料で公開というのは商売の、マーケティングの一手段としてメジャー中のメジャーである。アニメ化もされた超有名な漫画、ワンパンマンも、ほとんど全話無料で読む事ができる。この前無料で読んだだいらんどはとても面白かった。それを、何を今さらガヤガヤと騒いでいるのだろう。ニュースを見ていてこんなしょうもない物が取り上げられているのに遭遇し、驚いてしまった。

クリエイターは、もういらない。

お金の奴隷解放宣言(笑)は、ネーミングこそ失敗(ある意味成功)しているが、時代の流れからして当然、西野さんがするべくしてした事である。これが今の時代であり、適応すべき環境である。クリエイターはもうプロもアマチュアもそこら中にわんさといるのである。この環境においてもプロとしてなお食べていけるような実力を持たない、「吹けば飛ぶような」、「プロの」(この二つは矛盾している)クリエイターはもういらない。無料で公開しているものに埋もれるような、その程度のクリエイトにインセンティブを与える必要などどこにもない。プロのクリエイターの保護はあまりに時代遅れで馬鹿馬鹿しい考え方である。

お金を稼ぐことが悪いと言うわけではない(むしろいいことだ)。ただ、創造の対価にお金がもらえるのが当然という考えが時代遅れで馬鹿馬鹿しいということ。そして、創造が価値を失うことを誰か、何かのせいにして批判すれば、もしくはその他何かしらの行動を起こせば、時代の流れに逆らって、創造を取り巻く環境を維持できる、今まで通り創造の価値が維持できると考える人がもしもいるならば、その考えは(私にとっては)失笑モノである(どんな環境においても自分の創造が価値を持てるように切磋琢磨することに対しては絶対に失笑しない。私が失笑するのは自分の創造に対しての働きかけでなく、外部環境への働きかけである)というのが、私の言いたいことである。

この環境においても、プロのクリエイターとして戦える猛者はそうすればいいのだ。そうでない人は、お金のためでなく、自己満足のために、創造する楽しさのために創造すればいいのだ。

みんなスーパーヒーローだから、スーパーヒーローなんてもういらない。

みんながクリエイターになれば、クリエイターはもういらない。

※以下蛇足

世の中にはプロのクリエイターになれなかった人、シンドロームと同じ境遇の人がクリエイターよりもたくさんいるはずだ。漫画家になれなかった人、ミュージシャンになれなかった人、役者になれなかった人、その他....彼らは才能が認められなかったのだろうか。何が足りなかったのだろうか。わからない。しかし彼らは今、シンドロームとなってクリエイターに復讐、下剋上することが可能だ。

シンドロームは強力な道具、ツールを作ることによってスーパーヒーローの能力を上回り、自らスーパーヒーローたりうる力を得た。それは、誰でもスーパーヒーローたりうる世界を作ることを意味した。それによって彼は、「特別」であったスーパーヒーローを特別、特権の座から引きずり落とすことによるスーパーヒーローへの復讐と、自分が持つ事ができなかった「スーパーヒーローの才能」の全否定を行おうとしていたのだ。復讐と否定、ネガティブで強力なエネルギーが彼を動かしたのだ。

世の中のクリエイターになれなかった人には、そんなネガティブなエネルギーはないのだろうか。シンドロームのように、自分がなれなかった漫画家、ミュージシャン、役者、その他に復讐し、自分に足りなかった何かを真っ向から否定してやりたいと思わないのだろうか。自分より才能があった。自分の親よりもそいつの親の方が金持ちだった。自分に足りない何かを持っていた。「たったそれだけ」で、「たったそれだけの理由」でやつらは、自分になれなかったクリエイターになり、したり顔で特権の創造活動をのうのうやって、金を得ている。シンドロームのように、そんなやつらに、復讐したくないのか。泡を吹かせたくないのか。自分と同じ地平に引きずり落としたくないのか。創造の特権階級をブッ壊してやりたいと思わないのか。ブッ壊して、自分も創造したいと思わないのか。

シンドロームはスーパーヒーローの才能と特権を否定するツールを作った。

(このブログは私の言語訓練に用いられます)