読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

チンパンジー言語訓練ブログ

このブログは私(チンパンジー)の言語訓練に用いられます。

想像/創造の余地について② ~けものフレンズが残した「余白と土壌」~

(この文章は前回想像/創造の余地について① ~魔法少女まどかマギカはなぜあそこまで盛り上がったか?~ - チンパンジー言語訓練ブログの続きです)

さて、前回では、「魔法少女まどかマギカ」の例を挙げ、コンテンツを盛り上げるにあたって二次創作が大きな力を振るうということ、そして、二次創作を促進する「余地」の重要性について説明した。

しかしこの例では、「余地」は意図的に作られたものではなく、東日本大震災という偶然によって生み出されたものである。そのため、二次創作の影響力を示すには適当であるが、「余地」とはいかなる物であるか、いかにして作るものかを語るには不適当である。

「余地」の正体とは何か。それを考えるに当たって今回は、最近流行りに流行り、ノリにノリきったアニメ、「けものフレンズ」を例に挙げてみようかと思う。このアニメは、意図的に、また比較的上手に「余地」を作ったアニメであるように思うからだ。

(この文章は、けものフレンズはブレイクした原因を説明する文章ではない。そのあたりについては謎が多く、中途参加の私にはどうにも分からない部分がある。私が説明するのは、コンテンツがブレイクする大きな要因の一つと考える「余地」である。他にも「余地」を有しているアニメはあるだろうし、その中の多くが多分ブレイクしていないだろうという事は承知している。そして私には、それらとけものフレンズがどう違ったのかを説明できない。できるのは、「余地」が何たるかについて私なりの見解を述べることだけだと、先にことわっておきたい)

 

先に結論を書いてしまうと、『余地とは、「余白」と「土壌」の絶妙なバランスである』と私は考える。

コンテンツを盛り上げる大きな要素、二次創作。その二次創作に必要ものが余地であるが、「二次」創作と言う以上は、まず何よりも元となる「一次」創作が必要となる。これが「土壌」である。もちろん、二次創作をしたくなるような、魅力的な土壌でなくてはならない。

そして、二次「創作」という以上、その作品には想像して創作をするための「余白」、つまり描写されていない部分、公式に定められていない部分が必要だ。(例えば、けものフレンズという作品中に、ちらとでもアライさんとフェネックちゃんの馴れ初めという「蛇足」な回想シーンがあれば、あなたは馴れ初めを自由に想像することはできないのだ)

さて、これらを踏まえて、けものフレンズという作品を振り返ってみよう。

 

まず、世界観、舞台設定を振り返る。

舞台は、人間が消えて久しい、退廃した動物園ジャパリパーク。そこには謎の物体「サンドスター」から生まれた不思議な生き物「フレンズ」たちがのんびりと暮らしている…といった感じだろうか。

まず、創作の「土壌」という視点から見ると、非常に魅力的な舞台設定である。基本的にはほんわかしているのだが、どこか不穏な雰囲気をしっかりとにおわせている。このマイルドとビターのカフェオレのような舞台設定は、けものフレンズの人気が一過性で終わらなかった理由である。創作意欲が掻き立てられること間違いなしの素晴らしい舞台設定だ。

創作の「余白」という観点から見てみると、しっかりと細部まで行き届いた魅力的な舞台設定であると同時に、はっきりとしていない謎の部分もしっかりと残してある。サンドスター、サンドスターロウとは?セルリアンとは?セルリアンがなぜ光を追うのか?なぜ海水で固まるのか?そもそもフレンズとは一体どんなものなのか?という設定の謎。ほかの「ちほー」には一体何があるのか?どんなフレンズがいるのか?人間はどこに行ってしまったのか?という舞台の謎。他にもいろいろある。このように、物語が終わった今でも、明かされない謎、つまり「余白」がこんなにもたくさん残されている。その余白は、あなたの自由な想像と創作で埋める事が許されているのだ!

このように、けものフレンズの世界観、舞台設定は、「余白」と「土壌」の絶妙なバランスで、あなたの創作意欲を掻き立てる魅力的なものになっている。

 

では、けものフレンズのキャラクターについて振り返ってみよう。

けものフレンズのキャラクターは主に「フレンズ」である。フレンズはジャパリパークに住んでいた様々な動物が元となっていて、動物本体やその体毛などに「サンドスター」がぶつかる事によって生まれる。が、謎がまだ多く残る不思議な生き物である。

「土壌」の観点から見ると、出演時間が短いキャラクターが多い中、みんなきっちりとキャラが立っていて動かし甲斐があるキャラクターばかりだ。元となる動物の動きや生態をしっかりと観察し、フレンズの個性としてうまく落とし込んでいるため、それぞれのフレンズにかけられる時間が少なくとも、キャラがばっちりと立っているのだ。創作の元の土壌として、申し分がない。

「余白」の観点から見ると、フレンズたちには余白があふれている。なぜなら、このアニメでは、ストーリーの進行に必要のないセリフや回想などのキャラクター描写が蛇足として、一切排除されているからだ。先ほど例に挙げた通り、アライさんとフェネックちゃんの馴れ初めはストーリーに関係無いから描写されていない。それどころか、主要キャラクターであるサーバルちゃんがかばんちゃんに会う前の過去すら、ストーリーに関係が無いから描写されていないのだ。過去だけではない。例えばハシビロコウちゃんが物語進行時点でヘラジカチームの他のフレンズとどのような間柄であるかといった、現在時間での描写すらストーリーに必要無いものが徹底的に排除されている。

当たり前に言っているが、これはなかなかできない事である。ストーリーに関係ないキャラクター描写をダラダラダラダラと続けるアニメは枚挙にいとまがないが(その描写が余白を削っているのだ)、逆にここまでスッキリと無駄を排除できたアニメは一体どれだけあるだろうか。

(ダラダラとキャラクター描写をしなくてはならない理由は、恐らくキャラを立てるためであるのだが、けものフレンズの場合は、元となる動物の力を借りてキャラをきっちり立てることができているため、無駄に余白と時間を削る事なく魅力的なキャラクターを作り出す事に成功した)

アライさんとフェネックちゃんの馴れ初めも、かばんちゃんに会う前のサーバルちゃんの暮らしぶりも、ハシビロコウちゃんがいるヘラジカチームが普段どんな感じにしているのかも、あなたは全て自由に想像することが許されているのだ!こんなに素晴らしい事があるだろうか!

もちろん、この地球上にはけものフレンズに出てきていない動物が多数存在する。その動物のフレンズを想像する自由もあなたにはあるのだ!

このように、けものフレンズのキャラクターは、広大な「余白」と、上質な「土壌」を両立している。二次創作の素材としてこれ以上の物があるだろうか。

 

…わかってもらえただろうか。「余白」ばかりでもダメ、「土壌」ばかりでもダメなのである。「余白」と「土壌」の絶妙なバランスによって、二次創作を促進する「余地」は作り出されるのだ。

(こうして例に挙げてみるとやはり、けものフレンズは「余地」という点においてとても優れたアニメであると思う。流行るべくして流行ったとまでは言わないが、きっかけさえあれば爆発するモノをもともと持っていたと言ってもいいのではないだろうか)

 

長くなってしまったが、これが私の「余地」に対する見解だ。

 

(「想像/創造の余地について」は数回のシリーズを予定しています)

(次回があるかは未定です)

(このブログは私の言語訓練に用いられます)