チンパンジー言語訓練ブログ

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ラフな分業 ~「創る」は楽しいものでなくてはならない~

(フリーカルチャーの「フリー」って何?(まとめ) ~パワポで要点まとめ~の補足です)

 

「創る」は楽しい。これほど楽しいことはそんなにない。最高のエンターテインメントは、誰かが創った物を受け取るのではなく、自分で何かを創り出す事であると私は思う。

しかし、全ての創造が楽しいというわけではない。楽しくない創造もたくさんある。楽しくて仕方なかったことが楽しくなくなってしまう。それを私はたくさん経験してきた。

これは創造に限らないのだが、楽しいことが楽しくなくなる時、そこにお金、責任、義務などが絡む。それらが自由を奪う時、楽しかったことは楽しくなくなってしまう。やっと見つけた「楽しい」を得る手段が一つそこで消えてしまう。これはすごく悲しい事だ。

これによって数々の楽しいことをダメにして捨てた私は、お金、責任、義務といった、心を縛り付け自由を奪うものから、創造だけは断固として守り通さねばならない。これは、私が「創造コストの削減」を追い求める理由である。

プロになるということは、自由と「楽しい」を捨てるということである。プロ野球選手にとって野球は仕事である。

 

創造を楽しいと思っていたいなら、自由でなければならない。

自由であるということは、つまり完全に主体的であるということだ。集団の一部に属し誰かに指示されるのではなく、自分が楽しいと思うことを自分が楽しいと思っている間だけやるということだ。自由であるということは、孤独であるとも言える。ひたすら楽しいを追い求めると、個人主義にたどり着く。

しかし「創造する」という場面でこの個人主義は、結果として完成するもののクオリティが下がったり、完成させるのに時間がかかったり、そもそも完成しなかったりという事を引き起こす。

(現に私は、ほとんどの創造を完成させないまま放り出す。時間や労力がかかりすぎて途中で飽きるからだ。飽きたらすぐに止めないと楽しいは苦しいに変わってしまうため絶対に続行しない。創る過程が楽しいというのは完成しなくても同じなのでそれで構わないのだが、考えた物が形にならないというのはなんとなく残尿感がある。)

クオリティが高いものを創るには、もしくは完成させるためには、いくら創るをサポートするツールがあったとしても一人では限界がある。創るのを容易にするツールだけではなく、分業が不可欠である。忌まわしい分業が、だ。

私は分業が嫌いだ。なぜなら、「分業あるところに責任と義務あり」だからだ。誰かと協力する時、そこには自由など無い。そこにいる全員が責任と義務に縛られる。仕事ならいい。金を稼ぐために自由と楽しいを捨てることなど何とも思わない。しかし、私がしているのは趣味の話だ。真に「楽しい」を追い求める活動での話だ。だが、「楽しい」のためには自由が必要だ。

 

では、真に「楽しい」を追い求める活動ではクオリティが高いものを完成させるのは不可能なのか?クオリティが高いものを創るには、「苦しい」を受け入れなければならないのだろうか?本当にそうなのか?

 

いや、違う。今は違う。

「真に自由な分業」。これは、実現できる。「義務と責任に縛られない分業」だ。矛盾しているが、実際に実現している。

私はこれを「ラフな分業」と呼んでいる。緩やかな分業と呼んでもいいのだが、この言葉はビジネスで結構使われているので分けるために「ラフな」にした。

(この概念は何かの文章で読んで知ったのだが、その文章がどうしても思い出せない。)

 

さて、ラフな分業の具体例を挙げよう。

ボーカロイド作品(ボカロ曲)と、その周辺に派生するPVや「歌ってみた」、「踊ってみた」などの、二次創作星系である。(星系と表現するのはSongriumの影響だ。)

ボカロ曲を創るクリエイター、ボカロPが創るのは、曲だけである。もちろん曲単体でも十分に楽しめるのだが、それだけではプロに迫るクオリティとは言えない。ボカロPが創った曲に影響されて、様々な二次創作が「自然発生」する。PV、「歌ってみた」、「踊ってみた」、マッシュアップ、リミックス…これら二次創作によって、ボカロ曲はハイクオリティに進化していく。

そこでは、たくさんのクリエイターたちによる分業が行われている。ボカロPは曲を作り、楽器を使える人がそこに自分の楽器を合わせる。「歌い手」がそれを歌い、「踊り手」はそれを聞き踊り、3DCGクリエイターは踊りのモーションを利用してPVを創る。こうした「分業」によって、プロに迫るほど、時としてプロを超えるほどハイクオリティな創作が完成されていく。

しかし、この分業の中には「責任」も「義務」もない。全て、各クリエイターの自由意志によって行われている。彼ら全員が、「楽しい」と思うことを真に自分の意志でやっているだけなのに、自然と分業できてしまっているのだ。

これが、「ラフな分業」だ。

この分業は、成果物を広く公表することによって初めて可能になる。ボカロ曲の場合はニコニコ動画がその舞台だ。

(そして、成果物を公表するという事はつまり、CDやDVDのように「データそのものを売る」というビジネスがそこで成立し得ないという意味でもある。)

 

「楽しい」を追い求める個人主義で孤独なクリエイターが、真に自由意志によって分業し、ハイクオリティな創作を完成させることができるのだ。

「苦しい」を受け入れなくても、ヤバいものは創れるのだ。

 

創造コストの削減」を行う際、分業(継承)はこのスタイルで行われなくてはならないと私は考える。

 

面白いコンテンツの元にクリエイターが集まって二次創作によってコンテンツが進化していく...というのは前々からよく指摘されていた事だが、この記事ではそれらが「分業」と言えることと、その分業が通常の分業と違い義務と責任に縛られない、自由で真に「楽しい」と思っていられる特殊な分業である事に注目してみた。