チンパンジー言語訓練ブログ

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生物としてのヒトのコモディティ化 ~淘汰の基準、なし!w~

昔、優秀な人間とは腕っぷしが強い人間のことだった。

そこから人類が進化し、様々な道具、銃などの近代的な兵器が開発されると、「腕っぷしの強さ」は無意味化されてしまった。兵器は腕っぷしに関係なく、多くの人が使える。それにより、「暴力的な強さ」は平準化、つまり誰でも同じくらいの力を手に入れられるようになってしまったのだ。

結果、腕っぷしの強さは、その人間が優秀か優秀ではないかを決める基準ではなくなったのだ。

代わりにその基準となったのが賢さである。これは多分現在まで続いている。

このように、環境に応じて淘汰の基準というものは変化していく。

 

しかし、ここでまたもや新しい無意味化が起こりそうである。

人工知能の登場だ。今はまだ余裕でいられるかもしれないが、恐らく近いうちに人工知能は人間の「知力」を無意味化するだろう。兵器と同じように人工知能が「知力」を平準化、誰でも手に入れられるものにしてしまうのだ。

こうなった時に、人間はどのような基準で優秀か、優秀でないかを判断すればいいのだろうか?言い換えれば、今後機械に無意味化されない人間の能力は存在するのだろうか?

 

私は、存在しないと予想する。全ての能力は機械によって平準化、無意味化されてしまうと私は予想する。

それはつまり、淘汰というものが存在しないという意味である。「能力」という視点で見ると、どの人間も全て同じであるため淘汰が行えないのだ。

淘汰が行われないということは、進化しないという意味でもある。何をもって「より優秀である」、「より環境に適応している」というのが無いのだ。全員能力が同じだから、「より」というのがどこにも存在しない。となると進化の方向が分からない。進化のしようがないのだ。

 

人類はかなり近いうちに衰退を初めて滅びるのではないかと私は思う。私の予想はあと1000年だ。