「創造/create」の意味を私なりに定義する ~マクロとミクロ~

要約

私は創造を「マクロ視点の創造」と「ミクロ視点の創造」の二つに分けて定義。

「マクロ視点の創造」:問題解決や価値提供を主な目的として、革新的で価値あるものを新たに作り出すこと

「ミクロ視点の創造」:"創造することそのもの"を重要な目的と位置づけ、自分の頭の中、内界のイメージ(=想像/image)を、外界に具体化・実体化すること

「ミクロ視点の創造」は「表現」と言い換えることができる。

 

 

本文

創造や創造性に関することを考えていたり、他の人の考えを見たりすると、創造の捉え方というか、価値観が人によって違うということをよく感じる。

創造について考えたり誰かと話す時に、このように「創造とは」がフワフワしていると色々とめんどくさいので、そのあたりを私なりにハッキリさせようと思った。

 

(ちなみに、日本創造学会のホームページには創造性研究者の様々な「創造の定義」がのっている)

創造の定義|日本創造学会

 

ということで、「自分がイメージする創造」と、「自分のものとは違うと感じる創造」を比較して考えてみたのだが、二つのポイントで価値観・捉え方が異なっていると感じた。

「創造の目的」と、「創造の成果物の評価」である。

 

まず、「創造の目的」について。

「私の創造」の場合、問題解決や価値の提供といった目的以上に、「創造することそのもの」を創造の目的としている。

つまり、創造することは楽しいから創造するのだ!という考え方である。

「創造は手段ではなく目的」と言い換えることもできる。

 

対して「もう一つの創造」の場合、問題解決や価値の提供という目的のために創造が行われる。

「創造は目的を達成するための手段」なのである。

 

(この価値観の違いによって私はよく友人と衝突する。その際の私の主張は決まってこうだ。

「創造はエンターテイメントを提供する手段という認識はあまり正しくないと思う」

「それ以前にまず、創造すること自体がエンターテイメントそのものなんだ」

「つまり真のエンターテイメントとは、誰かの創造の成果物を受け取ることではなく、自ら創造することだ」)

 

もう一つの「創造の成果物の評価」について。

「私の創造」の場合、創造の成果物が社会的に見て無価値であったり、陳腐なものであっても、本人がその成果物や創造するプロセスを楽しむことができれば、それで十分であるという考え方だ。

 

対して「もう一つの創造」の場合、創造の成果物が社会的に見て価値を持っていて、革新的なものでなければ、そもそもその行為を「創造」と呼ぶことはできないという考え方である。

 

 

このように二つの創造を比較してみると、なぜ二つは異なっているのか、その原因がハッキリした。

創造を「ミクロ視点(個人的視点)」で捉えるか、「マクロ視点(社会的視点)」で捉えるかの違いである。

創造に対する価値観が、個人目線であるか、社会目線であるかという違いだ。

 

ということで、私は二つの創造があるとして、「ミクロ視点の創造」と「マクロ視点の創造」と名前を付けた。

 

「マクロ視点の創造」:問題解決や価値提供を主な目的として、革新的で価値あるものを新たに作り出すこと

「ミクロ視点の創造」:"創造することそのもの"を重要な目的と位置づけ、自分の頭の中、内界のイメージ(=想像/image)を、外界に具体化・実体化すること

 

こうやって整理すると、創造に関する考えの受信発信や議論の際に混乱しなくて済む。

 

…が、よく考えてみると「ミクロ視点の創造」は、ほぼそっくりそのまま「表現」と言い換えることができそうである。

だったらもういっそ、「表現」にして、「創造」は「マクロ視点の創造」に明け渡してしまった方がいいのかもしれない…

 

以上です